''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

輟翁宗活(てつおうそうかい)【釈 宗活】

 
輟翁宗活(てつおうそうかい)【釈 宗活】
 

明治3年11月15日(1871年1月5日) - 昭和29年(1954年)7月6日 

明治・大正・昭和期の臨済宗の僧。東京市麹町の生まれ。

本名 入澤譲四郎。号は 両忘庵、輟翁、石佛。

 
初め円覚寺の洪川宗温(こうせんそうおん)に参じ、石仏居士(せきぶつこじ)と号した。
後に、洪川の法嗣の洪嶽宗演(こうがくそうえん)()について出家得度して、その法嗣になる。
洪川の創始した、僧籍にはない一般人に対する禅道指導の組織である両忘会を釈宗演の指示によって受け継ぎ再興し、さらに渡米して道場を開いた。宗演の法嗣であったが、居士接得に専念して諸方の住職入山を固辞し、大寺院の住職とはならない後半生を過ごす。
 
傘下から、立田英山(たったえいざん)、大峽竹堂(おおはざませくどう)らの法嗣の故事を輩出。84歳で示寂。
著書に、『六道遊戯(ゆげ)集』、『臨済録講話』がある。