''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「ワンハンドスナック」スティックカラムーチョ ホットチリ味 を食らう より。

朝からやはり寒いです。
昨日は、午後から天気が崩れましたよ。
それにしても、早いもので2月になりました。
平成最後の残り3カ月になりますね。

先日、いつものようにゆうゆうの保育園の帰りに、激安シッョプに立ち寄りました。
そこで、目に留まったのが、「ワンハンドスナック」スティックカラムーチョ ホットチリ味です。
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色味が辛らそうです。
きっとホットホットになれますよ。
いつものように晩酌の後に、口寂しいので、発泡酒のお供に、これを開けましたよ。

そこで、儀式のようにやって来たのが、3歳児ゆうゆうです。
「何食べてるの?」
食べるか聞くと、うなづくばかりです。
嫁に怒られたらいけないと思いながら、イチラーとしては、娘にも辛みを体得させないといけませんから、あげました。

泣きだすかと思いきや、「おぃちぃ」と何度も要求します。
辛くないのか、心配でしたが、全くどうもない様子です。
時々私の一味攻撃に、幾分か慣れた気配があります。
恐るべき3歳児の味の進化です。

キムチも食べます。
辛いキムチは、苦手なので、私が即席で作った和風キムチを与えても、平気みたいです。
もちろん、辛くはありません。
なんちゃってのキムチです。

白菜が残っていますので、塩漬けにして、それに桃屋のキムチの素を入れて、少量のキムチを作っています。
これなら、経済的です。
本格キムチは、以外高いですからね。

その分、手間暇も掛かってますし、食材も入っています。
出汁や桃や塩辛、いろいろと味のベースにいろいろな味のバランスが、入っているので、あの独特の旨みのあるキムチの味があることは、知っています。
辛いだけが、キムチではありません。

子供の頃には、キムチなどとは言わずに、朝鮮漬けと言っていた記憶があります。
我が家では、小学校高学年の焼き肉の時以外、食べることがなかったです。

伯父が辛いものが好きで、家でキムチを漬けていたと記憶しています。
伯父の家で、最初食べたくらいでしょう。
近くのスーパーでも、キムチは見たことがなかったです。

そんな時代です。
それが、焼き肉と言う文化が、家庭でも一気に広がって、それに伴って家庭にキムチが入って来ました。
父はアルコールを呑まなかったものですから、そうした酒の肴には、縁遠かったと思います。

食べざかりの時の兄が、焼き肉屋と言うか、ホルモン屋に連れて行ってもらってから、一気に焼き肉を食べる習慣が、我が家に普及しました。
そこからのキムチです。

若い頃のバイト先で、キムチを出していました。
そのキムチは、お店の奥さんが漬けていましたからね。
意外と本格的なキムチの味を知りました。

キムチが、家で作れるというのは、知ってはいましたが、驚きでしたね。
もちろん、私のように、即席の素を使っておられなかったです。

ホルモン肉も好きになりました。
やはり、テッちゃんです。
脂のそいだ板状の漬けこまれたテッちゃんの味が忘れられません。
脂の詰まった白と呼ばれるものでなく、板状のシマ腸のテッちゃんですね。

シャキシャキしたあの食感と、脂と違う肉の旨みが、凝縮していたように思えます。
時々無性にあのテッちゃんが食べたくなります。
炭焼きで頂くともっと美味いです。
なかなかあの味には出会えません。

生野のコリアンタウンと一度味を運んでみたいと思っています。
地図は頭に入っていますので、近鉄電車で鶴橋に向かえば、後は鶴橋駅近くのお店を覗きながら、ゆっくりと足を運べます。

または、環状線桃谷駅で降りて、桃谷中央商店をぶらぶらして、御幸森神社さんから入るのも、なかなかの通を感じますよね。
頑張って、自転車で、生野だけに、ゆうゆうを連れて行くのもありですよね。(ここしか笑う所ないですよ。ねぇ、とおるちゃん!!)

生野と言えば、「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立」の和歌を思い出します。
百人一首に詠まれている有名な和歌で、作者は和泉式部の娘の小式部内侍ですよね。
まるで、落語家の小米朝みたいですね。

みんなの思い浮かぶ小米朝さんは、5代目桂 米團治のイメージが強いですね。
ですが、こちらは2代目の小米朝さんですよね。
同名の小米朝が、明治にあったと聞きますが、はっきりとした記録であるのは、初代小米朝は、月亭可朝さんでしょう。

あの『嘆きのボイン』は、80万枚を超える昭和のコメディーソングの金字塔でしょう。
あの頃から、芸人さんがレコードでヒットしていた流れを強めたと感じますよ。

あの手の音曲の漫談は、どこに行っても受けますから、テレビだけでなく、営業にも引っ張りだこでしたね。
今でも、こうした音楽を使ってリズム漫才は、ヒットすることが多いですね。
笑いの基本にある鉄板ネタなんでしょうね。

それに、言葉遊びもあります。
これは、「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立」の和歌にもありますよ。
生野と行くの、踏みと(母からの)文と掛けているんですよね。
そうした言葉の使い方の妙が、何だかちょっと尊敬される感じがしますよ。

やはり、温故知新です。
古いものにも、新しいものを見つけられます。
話芸は、無駄を排除し尽くした完成系が、後世に残るわけですね。
芸の道は、深いです。

辛みの道も、まだまだ先が長いです。
親子して、子連れ狼みたいに、拝一刀が事あるごとに口にする「冥府魔道」の道に進むのかもしれません。
ただ、「冥府魔道」とは、小池一夫さんが冥府と魔道をくっつけて作った「子連れ狼」作品内のオリジナル用語みたいです。

それなりの世界観のある言葉に聞こえますね。
おそるべしです。
その内、ゆうゆうが辛い、痛いと言い始めれば、嫁が怒って、ゲームオーバーです。

それまでは、ゆっくりと体得させるのも、いいかもです。
なんちゃっての親子2代のイチラーを目指します。

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。