先日、チューブの動画で、神田松鯉師匠の講談『寛永三馬術より 出世の春駒』を見ました。
やはり、現代の名人芸ですね。
神田松鯉師匠と言えば、今月真打に昇進した神田伯山さんの師匠ですよね。
伯山のユーチューブも楽しみに見させてもらっています。
寄席の芸人さんで様子も見られたし、神田 阿久鯉さんの存在も知りましたよ。
名前の由来は、もちろん、浅野内匠頭の正室・阿久里からのですよね。
名前の方は、仏門に帰依してからの方が有名かもしれません。
この瑤泉院(ようぜんいん)も、最初は、壽昌院であったのが、桂昌院の「昌」と字が重なると言うので恐れ多いと、瑤泉院に改名したと言う曰く付きです。
もちろん、浪曲・講談で有名な「南部坂雪の別れ」は涙を誘います。
ただ、この噺は嘘ですよね。
南部坂に、この当時浅野の屋敷はなかったので、三次浅野家の今井町の屋敷に居たことになっていますので、「今井町雪の別れ」と言うことになります。
でも、坂と言う文字があると、今でもいい感じですよね。
忠臣蔵の赤穂47人の「47」を外して、AKB48とか、欅坂46とか、乃木坂46の数字になっています。
秋元先生、やはり、温故知新ですよね。
赤穂47も、今時にしたら、AKO47になりますからね。
赤穂事件は、5代将軍綱吉公のご時世です。
5代将軍綱吉公の父親は、こ存じ3代将軍家光公ですね。
家光公は名君と言われますが、いろいろと曰く付きの将軍様です。
父親・秀忠公と仲が悪かったです。
尊敬するのは、祖父の神君家康公です。
自分が3代将軍になれたのは、祖父の神君家康公と乳母春日局のお蔭です。
小さい時より、両親の寵愛を受けることなく、偏食で気難しく、男色好みと来れば、扱いが難しい将軍様でした。
その我がままで気難しい家光公が、父秀忠公の墓参で外出した折の話が、講談『寛永三馬術より 出世の春駒』と言うことになります。
もちろん、史実ではないと思います。
元ネタは、どこかにあったはずです。
話は、簡単に言えば、曲垣(まがき)平九郎が、将軍徳川家光の命で、芝愛宕山の男坂を馬で乗り上がり梅花を手折るというストーリです。
旗本家来に家光の無茶ぶりありの、自ら登ると言い出しての、だれか止めてっての一人狂言じみたの、家光の性格を面白おかしく演者の見せどころ満載の講談ですね。
話の中心は、どうも見ても、痩せこけた馬とイケてない武士の取りなす演者の名演ですね。
私の中では、この講談は、宝井琴梅師匠のイメージです。
跛ひいた馬の気持ちやをその気にさせる平九郎の軽妙なやり取りも、名演の好きな所です。
寛永三馬術の当時の馬術の名人とは、讃岐丸亀藩生駒家の馬術指南役・曲垣平九郎、肥前唐津藩寺沢家の馬術指南・筑紫市兵衛、そして筑後柳川藩橘左近将監の馬術指南・向井蔵人の三名ということになっています。
その中でも、曲垣平九郎は講談、浪曲・講談ではよく登場されますね。
讃岐丸亀藩生駒家の500石馬術指南役・曲垣平九郎と度々平のコンビの話は、面白いです。
浪曲の京山幸枝若師匠の曲垣平九郎と度々平の掛け合いが、笑いを誘いますね。
この意味では、私の知る浪曲の京山幸枝若師匠の曲垣平九郎と講談のこの曲垣平九郎とは全くの別人です。
それが、また講談と浪曲の違いもあって、興味が深い所ですね。
講談では、家光公より腰にあった、志津三郎兼氏の名刀(短刀)を拝領します。
志津三郎兼氏とは、正宗十哲?の一人にして、美濃国多芸郡志津山に住し、美濃鍛冶伝統の正目交じる板目地肌が特徴との解説です。
大業物にして、刀剣辞典の評価値は、健全定寸1500万円と最高水準の刀工と言うことになります。(実売価格とは異なりますよ。短刀なら50パーセント減の評価値です)
因みに、刀が少なく、長巻が多いとの解説がありますよ。
巧みな話術の講談は、その話の世界に引き込まれます。
そうした所に、話芸の妙があるのだと思っています。
伯山さんの真打と襲名の話題で盛り上がっっていますが、ここから寄席の芸人さんの個の持ち味が花開けば、いいと思っています。
テレビで見かけない芸人さんとの芸屋の雰囲気も、伯山ティービィーで知りえるのも、関西在住のモノには、楽しみになっています。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。