スカーレットと言えば、朝ドラのタイトルの如く、「緋色」の赤ですね。
それと対比して、マトリカリアとか、英語では「Feverfew(フィーバーフュー)」と呼ばれる白い菊のような花が、いろんな意味で、注目されているようです。
縁側の親子の姿に、いろいろな思いが募ります。
とりあえず、感謝と言うのがいいですね。
マトリカリア全般の花言葉
「鎮静」「集う喜び」
悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つ事は僥倖(ぎょうこう)を待つに等しい。
静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力を蓄えている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。
by 松下幸之助(1894~1989)
ネットでいろいろ調べていると、時に、心にしみる言葉と巡り合う。
僥倖と言う言葉があります。
読みで言うなら、「ぎょうこう」と読むようです。
意味
1 思いがけない幸い。偶然に得る幸運。
文例 「僥倖を頼むしかない」 「僥倖にめぐりあう」
2 幸運を願い待つこと。
「生死の境の中に生きることを―しなければならない運命」 (有島武郎『生れ出づる悩み』 より)
私は、残念ながら、薄学です。
そう賢い方の博学でなく、薄い方の薄学です。
薄く広くがモットーです。
その意味では、ネットで心にしみる温かい言葉を見つけると、感謝を感じます。
「鎮静」と聞けば、世界的脅威の新型コロナウイルスですが、一日も早く鎮静してもらいたいところです。
大阪府下でも、毎日のように感染者が増えています。
このまま、鎮静化するのか、ここから増大するのか、不明のままです。
大阪府は、政府に先駆けて、いろいろと一歩前に進んで居るように感じています。
心強いことです。
ただ、日本政府としての対応に、不満を感じますね。
イタリアが、先手を打ちながら、感染が拡大してしまった。
失政ではありません。
日本も、本当の所が、見えて来ていません。
国内の感染者の実数を把握していない以上、それ以上の対策が打てないと言えそうです。
軽症の患者が病院に押し寄せて、更なる感染拡大で、医療崩壊するのか、それとも必要に迫られながら、検査することなく重症化して、医療崩壊するのか、日本はその分岐点に立っています。
私は、後者の方に近づいていると気がします。
その理由は、ヨーロッパで急速に広がって、日本だけ感染拡大がないと言うのは、あり得ないからです。
重症化する前の医療対応が、完全拡大の下支えになっているように感じます。
ただ、一夜にして突然と言うこともあり得ます。
日々感染者の数が増えています。
イタリアも、最初はそうでした。
お隣のかの国も、そうでした。
クラスター源を作らせないと言う意味では、イベントの中止は効果がありながら、日々の通勤電車の中、駅のターミナル、人が多いと言う意味では、その危険が回避されていないと感じます。
ある程度、大規模な検査体制が整えば、感染の傾向が見えてくるような気もします。
繊維メーカーのクラボウは、16日に少量の血液から新型コロナウイルスの感染の有無を15分で判定できる検査キットを発売するとしていますが、一般の病院での検査ではないですからね。
いち早く、感染の低い山を作って、医療崩壊させない狙いは、いいと思いますが、検査数の少ないことに、国際的な非難があるのは、事実です。
「一陽来復を願う」の転換点になるのも、国際社会への貢献があり得そうです。
見えない世界の「妙」と見える世界の「法」、見えないからこそ、更なる恐怖に怯えることになりそうです。
見えない世界を、検査体制を使って、数と言う見える世界に繋げるのも、必要ではないかと考えます。
いち早くこの騒動が、鎮静化して、終息しますことを念じます。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。