いつものように、4歳児のゆうゆうの保育園の帰りに、桜が咲いています。
満開です。
ほんに満開ですよ。
すぐにきれいで満開ですよ。
それでも、満開の桜を見る方が居ないんです。
人通りが少ないからでしょう。
来年は、ここでお弁当持って来て、親子3人で花見をしようかと思うくらいです。
満開の花の前で、誰もいないと、まるで、笛吹けども踊らずみたいです。
笛吹けども踊らずと言っても、米津玄師さんの「笛吹けども踊らず」(作詞:Kenshi Yonezu、作曲:Kenshi Yonezu)ではありません。
♪ でもなんでこうなったんだ ここで今何してんだギラギラの目の人たちにあらぬ疑いをかけられて沢山の流言飛語が 息巻いて飛び交う部屋に~
ギラギラの目の人たちにあらぬ疑いをかけられて沢山の流言飛語が 息巻いて飛び交う ここだけ聞くと、新型コロナウイルスの感染拡大の風説の流布をイメージします。
このまま、東京がロックダウンすることになれば、それこそ、『ゴーゴー幽霊船』ならぬ『ゴーゴー幽霊都市』にならぬように願うばかりです。
♪ 君は本当の嘘で騙すんだ
まさしく感染拡大しているのに、検査をしないので、それほど感染したと流布されることもないまま、感染だけが拡大して、国民の居ない国家にしてしまいたのか、真意を問いたいです。
花は、人がきれいだと褒めて貰う為に咲いているわけではない。
花が、春がやって来たから、自然の摂理として花が咲いているだけです。
あくまで、花の意志ですね。
花には意志がないと言うけれど、花は花として咲ています。
意志は医師でも、人間世界の意志は、このコロナウイルスの前に、国民や患者を救うのでなく、いろいろな思惑によって、このコロナウイルスを意図的に利用しようとしています。
自然の摂理の花の意志とは別物です。
求めにPCR検査もせずに、感染者数を公表することに意味はないはずです。
感染拡大して、手遅れになってしまうのが、怖いです。
自然淘汰が、天の定めなら、それも仕方ないかもしれませんが、天はそんなことはしないはずです。
チャットモンチーの『世界が終わる夜に 』(作詞:福岡晃子. 作曲:橋本絵莉子)の歌詞を思い出しましたね。
♪ 例えば虚しく時が過ぎ 馴れ馴れしい静寂が来るしまった! もう世界は終わっていた~中略~わたしが神様だったら こんな世界は作らなかった愛という名のお守りは 結局からっぽだったんだ
私が神様だと思ったならなんてことは、考えたこともないけれど、先日黄泉に旅だった志村けんさんなら、「志村けんの神様」のコントを思い出します。
茶 「あんた、神様でしょ ?」
志村 「とんでもねえ、あたしゃ神様だよ」
そんな志村さんも、あの世では、『キネマの神様』になっておられることでしょう。
このコロナ騒動も、「だいじょうぶだ」といつか言ってもらいたかったですね。
笛吹けども踊らずととは、よく言ったものです。
来年は、満開の花見の宴がしてみたいです。
桜よ、ありがとさんです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。