チョコスナックの代表格の「きのこの山」と「たけのこの里」、いろいろと総選挙的なイベントも話題になりましたね。
でも、その売上高は、なんとなんと南都雄二の年間220億円らしいです。(言い回しが昭和です)
南都雄二さんって言うのは、ミヤコ蝶々さんとの漫才コンビ「蝶々・雄二」の相方ですね。
共に、一時代を作った喜劇の大御所ですよ。
京都では、南座のミヤコ蝶々さんの舞台を見るのを楽しみにしていたも多いです。
今の若い方なら、ミヤコ蝶々さんもご存じないです。
「2時のワイドショー」のMCもされていましたよ。
それに1990年時代には、「蝶々・たけしの21世紀まで待てない!!」を北野武さんと冠番組もされていましたからね。
名前の順番が、大御所の証です。
映画の出演も多かったですよね。
喜劇の映画が、一時期多かった時代がありましたからね。
そんな中でも、私の好きな映画、『大阪物語』(市川準監督)は、1999年に劇場公開された日本映画にも、いい味が出ていましたね。
画面が締まると言うのか、大御所のオーラです。
お弟子の中には、あの「てい!!」という名ギャグの「ミヤ蝶美・蝶子」が居ます。
現在は、パピヨンズ(Papillons)にコンビ名を改名したと聞きます。
私的には、「ミヤ蝶美・蝶子」の方がいいです。
南都雄二師匠から、えらいところまで、脱線しました。
序に、『脱線トリオ』の名前も思い浮かびました。
すでに私が子供の頃は、解散して活動はされておらず、名前だけの喜劇俳優の由利徹さんだけのイメージです。
先日の神田伯山さんと高田文夫先生のYouTube見て、由利 徹さんの話の所で笑ってしまいました。
代表ギャグの「オシャ、マンベ」や「チンチロリンのカックン」ですよ。
くだらないと言いながら、一人悦に入られている高田先生の表情が生き生きされていましたよ。
あの「オシャ、マンベ」のギャグも、あの映画『網走番外地』で北海道・長万部町に撮影に行ったことから、現地で長万部町に媚びるように、宣伝的にやっていたことから始まったものだったと聞いて納得しました。この後にこのギャグが有名になったため、葬儀の際には長万部町から弔電が届いたという(雑誌「笑芸人1999年秋号」による)。(『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋・参照)
どらにしても、北海道・長万部町の地名は、全国区になったのは確かです。
当時知らない方が居なかったほどでしょう。
喜劇人としては、偉大な方です。
日本では、喜劇は下に見られやすいですが、外国では地位が高いですからね。
でも、町から弔電が来ると言うのも、喜劇人ならではです。
喜劇人は、死しても尚名前は残しますね。
今日、買い物から帰って来た娘が写真を撮ってと突然い言い出して、何かと言えば、「きのこの山」の写真を撮って欲しいと言うのです。
なぜなら、写真を撮れば食べられると思ったからでしょう。
ブロガーとして13年以上やっていると癖で食べものの写真を撮ります。
それを見ていた娘がそういったのです。
私が、ゆうゆうが写真撮ってよって言うと、分かったと撮った写真が、これです。
4歳児ゆうゆうが、ブログに初めて撮って、それを私がアップして写真です。
意外に上手です。 (もちろん、私が編集もしています)
今月命日の岳父の趣味が、写真が趣味でしたからね。
そんなDNAを引き継いでいるのかもしれません。
子供の成長は早いです。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。