寒いですね。
一時の事を思えば、少しは楽です。
寒い時には、大阪の空にも、雪らしきものが降ってくることもあります。
先日の寒さの底では、朝に娘を保育園に送る最中に、何か白いモノが降って来ていました。
もちろん、積もるようにことはありません。
その点、京都は年に1度ぐらい雪が積もることがあった。
私の住まいしていた伏見では、そんな感じでしたが、もっと北では雪もありますからね。
金閣寺に雪景色なんて、ニュースにもなります。
同じ京都でも、少し気温も冬景色も違います。
寒いとなれば、温かいモノが欲します。
酒呑みならば熱燗でしょうね。
若い頃は、休日の日曜日の午後1時半過ぎに、ふらりと祇園の権兵衛に行って、しっぱく蕎麦と菊正宗の燗の酒で、遅い目の昼ごはんにしていたモノです。
祇園の権兵衛と言えば、一度店を閉めていたようですが、最近またやっているみたいですね。
しっぽく蕎麦は、私の恩師と食事した記憶が強いです。
酒を呑むなら、しっぽく蕎麦がいいです。
蒲鉾やらシイタケの煮たもものやら、酒の肴になるおかずが盛ってあります。
1本の徳利を開けるくらいにちょうどの量です。
懐かしいです。
最近、美味しい蕎麦を見つけました。
信州 田舎そば 小諸七兵衛です。
温かい蕎麦にして頂きましたが、なかなか美味いので、冷たい盛蕎麦にしても食べたくなります。
乾麺も半生麺もよく頂きます。
6歳児ゆうゆうも、麺類は好きです。
先日の12日は、岳父の月命日でした。
娘のゆうゆうも麺好きのDNAを受け継いでいるようです。
私も麺は好きですね。
一番好きなのは中華そばです。
それと同等に、和蕎麦が好きですね。
にゅうめん、うどんと続きます。
子供の時から、うどんよりそばが好きでした。
関西人と言えば、うどんのイメージですが、意外と蕎麦好きも多いです。
「ここに砂場ありき」、大阪市西区新町2丁目、新町南公園の片隅に立つ石碑が証拠です。
例のあの「砂場」発祥の地ですね。
意外と言う方も多いですが、当時はそばの方が人気でした。
それが、茶碗蒸しにうどんが入ったのが、人気になって、その位置が逆転したと聞きます。
和食屋に入って、昼のランチに小さな麺が付くセットがあると、そばがあればそばを頼みます。
うどんも好きですよ。
関西人の好きなうどんは、本来柔らかいうどんです。
こしがどういって言うのでなく、柔いうどんが主流でした。
それが、讃岐うどんが人気になって、こしがあるとかないとか、言い始めると、讃岐うどんに影響されたうどん屋が人気になりますからね。
子供の頃、茹でうどんにヒガシマルのうどんだしを使って、家でうどんは定番の土曜日の昼ごはんです。
吉本新喜劇見てと言うパターンです。
新喜劇では、花月うどんの屋号が定番です。。
落語の「時うどん」でも、最初のうどん屋は「あたり屋」、二度目のうどん屋は「はずれ屋」ですからね。
これも定番の屋号です。
でも、食べ物屋では、アタリはご法度用語です。
食当たりのアタリをイメージさせます。
ゲンの悪い言葉を、符丁に変える文化もあります。
時に芸の世界や商売の世界では、するはゲンが悪いので、すずり箱は、あたり箱です。
スルメは、アタリメです。
最初は符丁だった言葉も、それ以外の方も使うようになることも多いです。
寿司屋に行って、お茶をあがりと言わないのが、ルールだと池波正太郎氏の金言にもありましたよ。
まぁ、寿司屋には独特の符丁が多いですからね。
玉子は、玉(ぎょく)と言えば、少し通ぶったお方です。
店の味は、玉で分かるなんてことも言われた時代もありましたね。
今や寿司屋は、回るのが当たり前です。
シャリは機械がにぎって、種を乗せるだけです。
それを寿司と言うのには、何か違うイメージですが、それが今時の寿司屋です。
我が家の娘も、お寿司は大好きです。
コロナが落ち着けば、家族で近くの回る方の寿司にも、出かけてみたいものです。
ランチなら、そばも食べてみたいです。
邪道ですかね。
アイスやプリンやメロンよりは、まだましですよ。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。