すでに50歳半ばを過ぎるといろいろな事を思い返します。
そう、子供の頃の事もよく記憶に残っています。
特に、食べ物の味についての記憶が鮮明です。
味の記憶と共に、その場の雰囲気や誰と一緒に居たかとか、いろいろと思い出します。
私の中で、衝撃的な味だったのは、ウィスキーボンボンです。
何じゃこれって、感じでしたね。
20歳以上年離れた従兄に聞くと、ウィスキーボンボンだと教えてくれました。
中に入っているのが、ウィスキーだと言うのです。
こんな不味いモノが、お菓子として売られているのが、不思議でした。
従兄曰く、本当のウイスキーでなく、お菓子用のウイスキーベースのリュールだと言うのです。
本当のウイスキーは、もっと呑みにくいと言う事でした。
確かに、初めて呑んだウイスキーは、高校15歳の春でした。
部下の遠征で、テントの中で、同級生に薦めて貰ったコークハイでしたね。
もちろん、ウイスキーボトルのストレートも口に含みましたが、吞めたものではなかったという記憶です。
まだ、アルコールには寛大な時代でした。
15歳の子供がウイスキーをスーパーで買っても、普通に売ってくれていました。
当時、サントリーのカクテルが流行り始めた頃で、スクリュードライバーやハワイアンベビーなど、今のワンカップのように容器で売られていました。
味は、子供でも呑める味でしたからね。
私の部活の同級生も先輩も、「呑め」と強要する方は居なかったです。
「呑める?」「呑んだことある?」「呑んでみる?」って言うように、呑めとの強要もなかったし、呑まない子も居ましたね。
それはそれでいいんです。
タバコの先輩も居ましたが、人には強要しませんでしたので、私を含め、同輩は吸わなかったですね。
いろんな嗜好があっていいんだと思います。
当時は、酒宴の席に居た大人も、中学卒業したら社会勉強や、とコップに少量の酒も注胃でくれました。
喉かな時代でしたね。
そうだからと言って、酒を呑んだからぐれると言う事もなかったですね。
大人と同席していたら、そんなこと言われませんでしたね。
私の周りに、流石に煙草を薦める大人は、居なかったですからね。
父も、ヘビースモーカーでしたね。
嫌でしたね。
ですから、私は大人になっても煙草は呑まなかったですね。
体に合わなかったと思います。
私たちが子供のこの昭和の激動の時代は、食生活の激変の時代でもありました。
カップ麺が登場して(すでに袋麺は私が生まれる前からありましたが)、レトルト食品が発売されて、カレーが大きな鍋で作らずとも、レトルトカレーでランチでも食べられる時代になりました。
牛丼や親子丼なども、同様にレトルト食品でありましたからね。
一番衝撃だったのは、ボンカレーでしょう。
子連れ狼の拝一刀に扮した笑福亭仁鶴さんが、「大五郎、3分間待つのだぞ」と言ってテレビCMが印象的でした。
味は、少し薬品臭かったと言うイメージです。
カレーの生薬の香りなのか、レトルトの容器の袋の匂いなのか、何か薬品臭いと感じた子供の記憶です。
あれ以来、家で食べる手軽なカレーと言えば、レトルトのカレーでしたね。
そんなレトルトカレーのククレカレーとオーザックがコラボした50周年記念の味です。
期待感以上のモノは味からは感じませんでしたね。
少し味の上からは、外れ感が強い商品でした。
って言うか、ククレカレーが元々カレーの味が強くなかったのかもしれません。
カレーで言えば、ジャワカレーは個性が強いです。
バーモントカレーも、味の個性が強いです。
両極端の味です。
家での大きな鍋で作るカレーから、数種類のルーを混ぜたりして、その家の味がありますが、レトルトでは、そうしたことも出来ません。
最近では、いろんなカレーのレトルトが発売されています。
個性の強いモノや、不思議な食材のカレーも売られています。
業スーに行った時でも、余り見ない激安のレトルトカレーを購入しています。
そうそうプロの業務用のカレーって、特別美味しくは作っていないってご存じですか?
特別感のあるように聞こえますが、プロが手直しして仕上げるように作られているので、プロの仕上げがしていない以上、自分好みの味にして頂くことをお薦めしてます。
レトルトカレーは、多種多様で、一括りにして評価するのは、無理です。
自分好みの味を少しでも見つけられたと、それは幸せです。
皆さんも自分好みの味を見つけて下さい。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。