40才過ぎてから、禅と言うモノに興味が湧き始めて以来、いろいろな書物を読むようになった。
禅の書物を読むと言っても、初心者用の簡易なモノです。
でも、そんな初心者用のモノでも、禅のエッセンスは入っているはずです。
禅と言うのは、形式ばった人としての生き方を、もっと自由に生きるためのものであると、宗教学者のひろさちや著 『もっと自由に生きるための「禅」入門』から学んでみたいと思います。
ひろさちやさんの講演を聞いたことがあります。
とても、ユニークで聞きやすい現代の説法的な要素がありましたね。
難しい事を、平易な喩えにして、分かりやすく凡夫のような私にも、理解されてくれることが多いです。
私のデスク近くに置いている愛読書の一つです。
本棚に入れてしまえば、読み返す機会が減るので、近くに置いています。
「眠くないのに眠ろうとしない」と称するタイトルの所が気になります。(P64)
高校生の時に読んだ書物の中で、「腹がへればめしを食い、眠くなったら眠る。それが禅だ」と言うのは、高名な鈴木大拙の言葉だと著者は書かれています。
もちろん、高校生の著者は、そんなことすれば会社なら首になると思ったとも書かれています。
この言葉の語源は、鈴木大拙の言葉でなく、唐の禅僧の大珠慧海禅師のモノだったようです。
真実を読み解けば、腹も減らないのに、食事を摂り、眠くないのに、眠っているのが、現代人でしょうね。
もっと言えば、食事もテレビを見ながら、食事をしたり、スマホを見ながら食事をしています。
それは、ここにいう本当の禅の言う食事ではないはずです。
食事の時間に食することに集中して食事をしていれば、間食などしませんし、じっくり夜に睡眠すれば、日中眠気に襲われることも少ないはずだ。
本当に、食事もしてないし、本当に眠っていないのが、現代人かもしれません。
そうした人間の生き方が、本当に人間の生き方なのかという警鐘なんでしょうね。
自由に生きるとは、固定概念に雁字搦めにされて生き方から腫れる事なんでしょう。
勘違いされては困るのは、食事をするのは、何もしゃべらずモクモクと食べることではないようです。
食事を楽しむと言えば、家族団らんで、子供は今日会ったことを話す、そして、親はその話に耳を傾ける。
これは食事をしています。
日本人はそもそも食事の仕方をも違っているとも著者は記されていますね。
フランス人は、主食が会話で、副食が食事たと考えているようです。
楽しく自由に食事を楽しむ事が、食事の主な考え方だと言う事のようです。
その上で、満腹になったら、料理も残してもいいし、好きなモノだけ食べるのも、食事のようです。
日本人の感覚には少し違和感がありますが、これも禅だと言う事のようです。
自由に生きることですからね。
そこで、キーワードになるのが「莫妄想(まくもうぞう)」(余計なことは考えない)と言う事ですね。
食事も睡眠も、余計な事を考えないで、精一杯するのは、なかなか至難です。
でも、日々の暮らしの中で、そうあるべきが人間の暮らしのはずです。
まずは、ランチの時間を修正するから始められそうです。
ランチタイムは、時間に束縛されて、腹も減っていないのに、昼休みだから、急いで食べに行くのでしょうから、本来はそれほど腹が減っていないなら、食べなくてもいいように感じます。
もちろん、禅と言うより、健康の為に、カロリー摂取は抑えるべきでしょうね。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。