先日、小さなナイフの話をしましたが、その内の1本が調子が悪くて、柄を付け替えました。
付け替えたのは、直次郎の鯵割き庖丁です。
柄は、木ですから、長い間使っている間に、弱って来ます。
そんな時は、手軽にDIY出来ます。
家から近いコーナンに行って、和庖丁の柄の取り換えするだけです。
割庖丁の柄が売られています。
250円程だったと記憶しています。
サイズがありますので、調べて行った方がいいです。
小さなサイズのモノとなると、売られているのが刺身庖丁の柄(貝印㈱ 093-AK-1215)と言う事になります。
柳刃庖丁ですね。
前にも、和庖丁の柄を取り替えたことがあります。
その時の要領で、研いだ庖丁の茎(なかご)を差し込んで、宛木を噛まして、取り替えたました。
抜ける気配もありませんし、素人が使うには不便はありません。
手にもしっくりしていい感じです。
これで、また当分愛用の庖丁の仲間入りです。
キレが悪くなると、時折、砥石で研いで、切れ味を維持させています。
ステンレスのフルーツ庖丁は、嫁が研ぎ機で研いでくれます。
切れ味が悪いと仕上がりも悪くなります。
気を付けたいところです。
特に禅の世界では、使えなくなった古錐(ふるぎり)を「閑古錐〈かんこすい)」と読んで、その境涯を貴ぶようです。
使えなくなった錐は、「役立たず」と侮辱されますが、禅では貴ぶようですね。
それは、「無一物の境涯」なのかもしれません。
時同じく、鬼平犯科帳の中では、鷺原の九平の芋酒・加賀やで、夜鷹のおもんが、平蔵に色目を使っても、「そっちの方は駄目なんだよ。だからこっちに来て、飲んで体を温めて・・・」って言うのは、なかなかの言葉かもしれません。(「兇賊」より)
男としてはダメでも、人としては、心の機微に富んだ言葉かもしれませんね。
男も50代の坂を越えるとね・・・。
♪ この坂を 越えたなら しあわせが 待っている そんなことばを 信じて越えた七坂 四十路坂~
頭に「夫婦坂」(作詞:星野哲郎,作曲:市川昭介)の都はるみさんの昭和の歌声が聞こえて来そうです。
いえいえ、五十路坂を越えていますよ。
手には、5歳の吾子の手を握っての坂道です。
「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け」
一休み、一休みばかりのゆっくりとした歩みです。
この道の先に、長安があると信じて、進むだけです。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。