地方の方なら、笑いと言えば、関西なら、吉本オンリーと思っている方も多いです。
でも、松竹にも笑いは根強いモノがあります。
地方の方なら、新喜劇と言えば、吉本でしょうが、松竹にも新喜劇は存在します。
私の子供の頃の昔、松竹新喜劇と言えば、藤山寛美率いる泣き笑いの芝居が、松竹の本領でしたね。
テレビ番組でも、『藤山寛美3600秒』と言うテレビ番組があって、子供の私もよく見ていたモノです。
吉本みたいに、ギャグのオンパレードでなく、芝居の中での泣き笑いです。
特に、泣きは子供心にも、強く響くモノがありましたね。
今でも、『愛の設計図』や『人生双六』は、心に残っています。
そんな中、すでに寛美さんの33回忌と聞くと、時の流れは、はやいですね。
私達より少し上の世代では、上方演芸界では「北の(南都)雄二かミナミの(藤田)まこと、東西南北藤山寛美」と称されたとも聞きます。
それでも、藤田まことさんは、最近までテレビや舞台でも大活躍されていましたからね。
ずっと第一線の活躍は、凄いですね。
享年60歳の1990年の逝去ですから、すでに令和4年(2022年)の命日5月21日なら、32年(33回忌)ですね。
YouTubeでも、未だに動画もアップしていますし、DVDのボックスも発売されています。
偉大な喜劇王ですね。
先日観た「大阪ぎらい物語」は、久しぶりにグッときましたね。
大阪船場の河内屋と言う大店が舞台です。
このお店も、複雑な事情を抱えています。
3人の子供が居ますが、長女は、先代が外に産ませた子供です。
長男は、すでに結婚して居ますが、お家さんと呼ばれる大女将の女主人が、すべては決めています。
次男は、後ボンと呼ばれていますが、少し知恵遅れの社会不適合者です。
その次男を寛美さんが演じます。
俗に言うアホ役です。
そのアホが、店の問題を解決させます。
次男の後ボンが、お店の女中のお千代に思いを寄せています。
お千代も、後ボンに心を寄せています。
ただ、お店の暖簾にかかわるので、次男が用事に出ている間に、母親の女主人が、お千代に暇を出して、お店を辞めさせました。
これを知って、次男が怒ります。
それを、女主人の弟が後見と称してお店に出入りしています。
その叔父が、先代がいつもの言うように、後ボンの次男に、言う事を聞かなければ、車屋さん(車夫)になれと言い放ちます。
何苦労することなく育った乳母日傘のボンボンに、車屋さん(車夫)になれるはずもありません。
叔父の目論見が当たると思いきや、後ボンが車屋になると家を出てしまいます。
行方触れずになっていた次男が、難波の戎橋で、車屋(車夫)になっていると、出入りのモノが教えてくれました。
もちろん、その者に次男を連れ帰るように命じます。
帰った次男は、叔父を相手に、駆け引きをします。
まずは、母の違う姉の扱いです。
自分にとっては血のつながった姉です。
姉の扱いが粗略すぎるので、その改善を願います。
次に、兄の長男のやりたいように、やらせて貰いたいと言う事です。
長男は、東京に支店を出して、商売がやりたいと考えています。
ただ、失敗しては店の暖簾に傷が付くことを、引き合いに出されます。
船場の大店にあっては、暖簾はとても大切なモノで、暖簾を汚す事を一番案じます。
このまま、船場の大店の格式を維持させたことが、一番の願いでしょう。
最後に、店から暇を出された女中のお千代との結婚です。
次男とは言え、それ相応の大店から結婚相手を見つけるのが、お店にとっても体裁がいい上に、商売上の利益があります。
それを、ちょっと抜けた次男とは言え、店の女中を嫁にするとは、世間様に笑われると言うのが、叔父の道理です。
それらの問題を解決する駆け引きに、次男が俥夫の格好でご近所を回ると言うれると、お店の暖簾に傷が付きます。
叔父にとっても、何が何でも、それだけはさせられません。
無理と無理の戦いです。
アホの次男の勝利です。
次男の道理は、人の道かもしれません。
叔父の道理は、船場の商人としての道かもしれません。
寛美さんの演じるアホは、人としての本質の姿をアホと言うフィルダーを通して、余計なモノを排除してくれます。
見えてくるのは、人の道でしょうね。
33回忌の最中、娘の直美さんが、次男の役を、長女の役に脚本を代えて、演じます。
毎日新聞の夕刊の記事で読みました。
船場の商家と言えば、米朝さんの落語「世代念仏」の枕に、商家の仏壇の話がありますよね。
社家の出自の米朝さんが、「南無阿弥陀仏」は空から一万円札でも降って来そうな気がしますね。
米朝さんの演じる門跡や位の高い高僧などの唱える「南無阿弥陀仏」は、身震いしそうになります。
落語の噺は、それと相対極する長屋の主の信心もない調子の高い「南無阿弥陀仏」の対比が面白いですね。
同じ人物の発する「南無阿弥陀仏」には思えないです。 (名人芸ですね)
千鳥の本千鳥です。
これまた美味いです。
6歳児のゆうゆうが、「あー、本千鳥だ」とハイテンションに言い放ちます。
美味しいの知っています。
それじゃ、落語の噺は、「世代念仏」じゃなくて、「まんじゅう怖い」じゃないかと言われそうです。
商家だけに、浜千鳥(ハウマッチダラー)に繋げて、本千鳥を持って来ました。
偉大な喜劇人の冥福に手を合わせます。
お供え物です。
本千鳥は、格式が高くて、弔辞慶事、お使い物に持って来いです。
私も嫁も、6歳児の娘ゆうゆうも大好きです。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。