ランチになると、時短手抜きでやっけることが多いです。
そうなると、麺類かごはんモノです。
いつものように冷蔵庫と相談します。
どうも、ごはんが余っているみたいです。
これは使ってくれって、視線が感じられますので、もちろん、合点承知の助です。
味を何にしようかと、思案します。
醤油か、ソースか、カレーが浮かびました。
気分は、カレーチャーハンで決まりました。
何か何を入れるのか、具材を探してみます。
ソーセージがありましたので、これを輪切りにして使います。
後は、卵に、青ネギに、創味シャンタンと牡蠣醤油の用意をして、温めたごはんを用意して、ランチ調理開始です。
温めたフライパンに、油を少量入れて、温まると卵を入れて、油と合わせます。
この時に、油と玉子を合わせて、油を玉子の中に含ませます。
そこに温めたごはんを入れて、玉子と合わせます。
ここから、へらで切るようにして、パラパラにして行きます。
ここまでは定番の手順です。
ここで、ソーセージを入れて、炒めます。
この間に、塩コショウして、創味のシャンタン入れて、炒めます。
ごはんの塊を無くすように、へらで切ります。
ここで牡蠣醤油を垂らして、合わせます。
再度、ここにカレー粉を入れて、更に混ぜ合わせて、炒めます。
仕上げに、青ネギ入れて、器に盛って、紅ショウガを添えたら、カレーチャーハンの出来上がりです。
単純ながら、簡単に出来るランチのカレーチャーハンです。
ソーセージでなくても、牛肉でも豚肉でも、あるモノ使って炒めれば問題ありません。
私的には、チャーハンと言うより、やきめしです。
昭和の時代のやきめしですね。
懐かしい感じがします。
一口スプーンですくって味を見て、塩味が足りないなら、ウスターソースを入れるのが、作法です。
いきなり、味も見ないで、ソースを掛け回すのが、昭和の大人です。
思い出しました。
昭和には、カレーライスのカレーの所に、ウスターソースやとんかつソースを掛け回す中年親父の多かったこと多かったことです。
カレーライスに、ソースを掛けるモノだと思い込んでいたのか、カレーの味が薄いので、ソースを掛けて調整していたのか不明ですが、家で食べる時でも、そんな風景を見た気がします。
私は、ソースを掛けない派でした。
昭和のカレーを食べる作法には、不思議なモノが多かったです。
水を入れたグラスに、スプーンを付けます。
これも意味不明です。
グラスが割れたら大変です。
破片が近くに置いてあったカレーの鍋に入ったら、それじゃどこかの豚まんのアンみたいになって、異物混入騒ぎになりでしょう。
それでも、551の蓬莱は凄いですね。
2日連続で異物混入したとして、約1.5トン×2を廃棄する英断は、凄すぎます。
廃棄したことで、お客様の信頼を勝ち取った気がします。
どこぞの有名料亭では、前のお客様が手を付けなかった料理を次のお客様に使い事を思えば、至極まともな英断です。
あの店も、一部の店舗を残して、残りの敷地は料理屋と違うモノになったと聞きました。
その店舗の前を通ったことがあった記憶です。
後悔なのか、高麗なのか、持ったないだけ精神が、料理界の偉人の偉業を帳消しにしたことになります。
でも、おの女将も実子ですから、しょうがないですね。
最近の居酒屋でも、さくらんぼうや添えのレモンの使い回しもしないでしょう。
客は、何を見て、店を選んだらいいのか、不明のままです。
災難は、ある時、ない時の選択に中で、お客様にとって常に最善の選択であって貰いたいですね。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
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