''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

10月になっても、8歳児ゆうゆうの朝顔は綺麗に咲いてくれています

10月になったと言うのに、8歳児ゆうゆうが1年生の時に育てた鉢植えの朝顔から種を採って、それを今年の春になってから、家り鉢植えにした朝顔が綺麗に咲いてくれています。
ありがたいことです。


玄関の門扉の横と玄関に、2鉢植えています。
今回のは、玄関の門扉の所の朝顔です。
いい色に発色してくれています。
玄関を出たら、門扉を出る時に、花があると癒されます。
ありがたいことです。


花はいいですね。
禅語の中にも、華をイメージするモノがあります。
禅語「一華開五葉」(いちげごようにひらく)と言うのがあります。
『少室六門集』の中で、禅の初祖達磨が、二祖慧可(えか)に法を伝える時の偈の中に出て来る中にあるのが、「一華開五葉」(一華、五葉に開く)らしいです。


この意味を大別して、二つに解釈があるようです。
一つは、達磨が自分の伝えた禅の一宗が、中国に深く根をおろして、将来5つの流派に分化して、大いに隆盛に赴くであろうと予言し祝福したものであると言うモノです。
5つの宗派とは、潙仰(いぎょう)、臨済、曹洞、雲門、法眼の五家ですね。
日本にも、有名な臨済宗曹洞宗がありますね。


もう一つの解釈は、一つの花が5枚の見事な花びらを開き、それぞれおのずと立派な実を結ぶように、私たちの心が煩悩妄想から脱却して、悟りの花を開き五智を開発するならば、菩提と言う仏果は期せずして結実し成就することだと言うモノです。
五智とは、大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智および法界体性智の5つを指すのようです。(『禅語の茶掛 一行物』芳賀幸四郎著 より参照)

芳賀氏によれば、「一華、五葉に開く」とは、修業に励んで迷いを転じて悟りを開き、道眼を養い仏果を得ることであると記されています。


なかなか深くて、凡夫には理解の及ばない所もありますが、煩悩を排除して、大悟する、言い換えれば、日々の暮らしの中で、煩悩を取り除いて、心の花を開くことにあるようですね。
私的なところでは、心の三毒を廃して、日々を平穏に暮らす事にありそうです。


そう、キングダムの合従軍の中で、楚の将軍、第二将の媧燐(かりん)が、この戦の目的は、終始「函谷関を落とす」という一つの目的に徹しており、ブレでいなかった事を思い出します。
目の前、敵秦軍の蒙武将軍や騰将軍に勝利するのが目的ではなく、「函谷関を落とす」と言うのが目的だと千人将の項翼に、言い放ちます。
手段は、1つでなく、いろいろとありますからね。
最初にいろんな手段を用意して置くのも、知将の兵法でしょう。


分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな

一休禅師の作と伝えられる道歌ですが、確かに、いろいろな人の境遇がありますが、道は違えども、目的は同じと言えそうです。

いやはや、いつもになったら長安に辿り着けるのか、不安ばかりの凡夫です。
「たどり来て未だ山麓升田幸三氏の名言が、染みわたります。

 

目的と手段を見誤ってはイケませんね。
自分にも戒める言葉です。
幸せは、遠くにはなく、自分の近くの内なる所にありそうですね。
日々平穏に暮らさせて貰っています。
ありがたいと、手を合わせます。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               
ありがたいことです。             
             
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               
ありがたいことです。               
               
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               
ありがたいと感謝です。               
               
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