''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

みにくいアヒルの子から見える世界。

先日、明石に行ったとき、城堀のつがいの白鳥を見かけました。
何とも優雅です。
白鳥として威厳に満ちています。
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みにくいアヒルの子は、アンデルセン童話の話にありましたよね。
子供の頃よんでもらったお話です。
子供の頃、好きな話でもありました。

みにくいアヒルは、実はアヒルでなく、白鳥であったとハッピーエンドの子供にも分かりやすいお話です。
ちょっと可哀想なところが子供の共感を呼ぶ、そんな話であるのかもしれません。

誰しもこうした醜いアヒルが、心の池に住んでいます。
いつか日の当る白鳥になりたいと願望をもっているはずです。

悪い事ではありません。
華やかさに憧れます。
憧れているときが一番楽しいのです。
そう遠足の前日が楽しいのと同じです。

みにくいアヒルは、白鳥になって注目されても、あのアヒルの気持ちを忘れないでいて欲しいと思います。
熱さも咽もと過ぎれば忘れるのであれば、それはそれで悲しいです。

教訓を生かす、それが自分を成長させます。
いつも教訓は忘れず実践できるものであれば、尚更です。

いつも自分に言い聞かせています。
偶然の偶然は必然です。
今あるのは、それが必要なことであるからです。

この前に何があろうと前しか進めません。
後ろへの選択肢はありません。
それなら、一歩ずつでも前に進んでやろうとね。
時に格好悪く、匍匐(ほふく)前進であろうと、泥まみれになろうと前にしか進めません。

その姿はまさしく、みにくいアヒルです。
誰しもが白鳥を夢見て、前に進みます。

ヒルも白鳥も同じ自分なら、中身は同じはずです。
人が、自分をアヒルか白鳥かを評価しているだけです。
自分は、同じ自分です。
それなら、アヒルか白鳥かの形にこだわらず、前に進めば良いだけです。

心の痞え(つかえ)も楽になります。
白鳥でもアヒルでも堀端の汚い水に浮かびます。
さほどの違いの事に気づきます。

気鬱なことも多いです。
でも、考えてもどうにもならないこともあります。
時に時間だけが解決することもあります。

気を楽にして過ごすように、気持ちを切り替えるのも、人生を楽に生きる方法です。
自分として自分らしい、自分もなすべき役割を果せば、いつか白鳥のような順番は回ってくるように思えます。
その時が、天命です。

生かされていることを、真摯に捉え、今日を自分らしく過ごす。
物事に対する感謝の念を添えると、より自分らしく過ごせるはずです。

気持ちまで、みにくいアヒルの子は、みにくい白鳥であっても意味がありません。

気持ちの持ちようで多くの事柄が変わります。
いろんなことを一人で背負っておられませんか?
物事の多くが相対的なものである事に気づけば、肩の荷も軽くなるように思えます。

迷い道を彷徨い続けるアヒルがここにも居ます。

最後まで長々お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。