''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

冬至の夜に、温かくなりたい。

冬至といえば、一番日の光の当たるのが短い日ですね。
そんな日は、ゆず湯となってお風呂を楽しむのも、なかなか風情があります。
食べ物にも、鍋に柑橘類のゆず絞って、湯豆腐に香り付けしてみるのもなかなか乙です。

湯豆腐には、昆布を敷きます。
昆布の少し塩分のあるような加減が、これまた豆腐の豆の甘みを感じます。
豆腐は、出しと味醂と濃口の3:1:1の甘みの豆腐タレもなかなかうまいです。

温かくして、温かい豆腐を網杓ですくって、甘めのタレで頂く。
もしくは、ゆずを絞って、すっぱい風味に、醤油を指してみるのも、シンプルでいいですね。

これには、私は一味唐辛子です。
最近は、かんずりとダブルの贅沢を味わっています。(アロマっ子さんありがとさん。今日もかんずり祭りですよ)
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豆腐の豆の甘みと香り、それにゆずの香りと酸味です。
それにかんずりの仄かな辛味と香りです。
三位一体の攻撃です。

参りました。
負けですね。
これに燗酒が、援護射撃します。
白旗を揚げるしかないですね。

豆腐は白い。
当然です。
壁のように白い、公家言葉でも、豆腐のことを「かべ」とか「おかべ」とか言います。
女官の言葉ですね。
なんとも、おっとりした風に聞こえます。

冷奴もいいでが、私は湯豆腐か、温奴(おんやっこ)を好みます。
温められたら、豆の香りが強くなります。
甘みも感じます。
奴といえば、奴さんです。

今月のサブタイトルは、「赤穂浪士」です。
奴さんといえば、駕籠を担ぎます。
着物の紋が、四角いひし形の紋です。
当然、武士ではありませんので、家の紋はありません。

ですから、白く染め抜かれた紋を使用していました。
これが奴豆腐と似ているという、洒落ですね。
言葉遊びです。

駕籠というと、小田原堤燈(ちょうちん)ぶら下げた、八さん、熊さんのような二人で仕事します。
町人でも、大棚の主人やその家族、大番頭さんなら、乗れました。
もちろん、お金があれば誰でも乗れます。

しかし、武士となれば、身分によって駕籠に乗ってもいい資格が必要です。
町人の駕籠でなく、奴さんが担ぐような黒塗りの駕籠です。
駕籠には、その家の紋まで絵がかれているものまであります。

大名は当然駕籠に乗ります。
旗本も大勢いますが、駕籠に乗れる方はそう多くないです。

まずは、家禄1000石以上が条件です。
もしくは、お役に就かれてそれが1000石相当の役に就かれて場合には、役目上駕籠に乗ります。

馬に乗るにも資格が必要です。
馬に乗って戦に参陣するには、だいたい家禄200石の身分が必要です。
180石なら、歩いて参陣です。

この壁はなかなか大きいです。
ましてや、元禄の太平の世にあって、外出時に駕籠など、夢の夢、1000石未満の旗本の彼岸でしょうね。

この赤穂事件で、この夢を叶えられた幸運なご仁がいます。
ご紹介します。
梶川与惣兵衛頼照(かじかわ・よそべえよりてる)殿です。

吉良様に浅野様が切りつけられた時、すぐ側にいて、浅野内匠頭を取り押さえた人です。
「殿中でござる」の流行語大賞の御仁です。

控え室よりのヒーローインタビューです。
「梶川様、その度のお働き、お見事でございましたね」
「いえいえ、その場に居合せて、何も考えずちゅうでしたから・・・はぁはぁ(笑)」

「聞くところによりますと、上様もいたくお喜びのご様子とか」
「これも忠義でございます。お勤め一番と考えております。ありがたいことです」

「梶川様、吉良上野介様とも、大変懇意であるとも聞いています」
「いつも、お気遣い頂いて、お世話になっております」

「あの時、どうして浅野様は、吉良様に、切りつけられたのですか?」
「そには、存知かねます」

「でも、取り押さえられるとき、言葉を発していたと聞き及びます」
「なにやら、乱心のご様子でしたので、なかなか聞き取れませんでしたね」

「何か吉良様にご都合の悪いことでも、ございましたか?」
「いえいえ、遺恨がどうだとか、その辺は定かではござらぬ」

「うんうん。これにて、梶川様のお疲れさまのヒーロー(疲労)インタビューでした。正面に戻します」

後になって『梶川筆記』を書き記します。
原本はなく、二種類の写しが残っているようです。

一番近くにいた人の証言です。
この方、家禄700石、大奥の御台所様付(みだいどころつき)のお役目です。
家禄からすると番頭クラスかもしれません。

地味ながら、会社なら、次長・課長クラスでしょうかね。
(「お前に食わせるタンメンはねぇ」のあれではないですよ。相方の井上さん、なかなかイケメン系ですね)

男でも大奥に入れる数少ない方ですね。
体は大きく、浅野内匠頭も大男に両腕で受け止められたので、あきらめるしかなかったのでしょうね。

たぶん、推測ですが、私と同じブサイク系です。
そうじゃないと、いろいろとうわさが立つと困ります。
(なるほど、ガッテン)

この方、綱吉公の母・昌桂院さまのご機嫌も宜しかったようです。
きっと、少し気の利いたところと、同時に話が面白かったのでしょうね。

町人出身の昌桂院さまにとっては、分かりやすい話と愛嬌のある雰囲気が気にいられていたのでしょうね。
ホンジャマカの石塚さんのような笑顔の似合う方でしょうね。
間違いない。(こっちは、古すぎて誰でしったけね。今日も長い話です)

吉良様とも懇意、その上昌桂院の覚えも目出度いとなれば、将軍綱吉からお褒めの言葉がじかにあったようです。
その上、クリスマスプレゼントも付きました。

500石のご加増です。
もともと700石ですから、都合1200石です。
一気に倍近い破格のご出世です。

日頃の大奥での苦労が報われました。
「将を射んと欲すればまず馬を射よ」
間違いないです。

浅野様を捕まえただけで、500石の加増など先にも後にもない前例です。
これじゃ、財政もすぐに破綻しそうになります。
大丈夫ですよ。
大名家を、因縁付けて、改易にすればいいですからね。
お手軽、お家取り潰しです。


このご加増により、家禄は1200石です。
念願の駕籠で、お城に出勤できます。
政治家のように黒塗りセンチュリーで、出勤です。
うれしかったと思います。

しかし、そんなことで出世とは、片腹痛いです。
命を削って、日々お勤めしている者が多く入る中、世間は許しません。

非難ゴウゴウ。ドライブスルーGOGOです。
これ今なら、お城まで、20分で行けますよ。
ただし、道が舗装されていません。(残念)

武家も町人も、非難の中です。
「抱き止めた片手は二百五十石、両手で五百石」
と洒落歌をつくられて揶揄されたとか、物の本によると、槍奉行にまで出世するものの、一方では家族からも冷たい目にされて、寂しい人生を送られたようです。

ここにも、浅野事件の犠牲者がいました。
この梶川殿は、貞享元年(1684年)8月28日に起こった若年寄稲葉正休による大老堀田正俊への殿中刃傷の際にも居合わせたといわれるも資料があるようです。
刃傷にご縁があるのかもしれませんね。(『ウィキペディアWikipedia)』抜粋)


何事も、するが堪忍、するが堪忍です。
仏法世界の教典『妙法華経法師品第十』に「柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心」と言うのが出てきます。
如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に座して、広くこの経を説きなさい」と、示されています。

このうち、如来の衣が「柔和忍辱の心、是なり」のことです。
如来の室とは、「一切衆生の中の大慈悲心、是なり」です。
如来の座とは、「一切法空(ほうくう)、是なり」

如来様は、仏様と同義語です。
「柔和忍辱の衣」をまとっておいでです。
身に着けておいでです。
これを身に着けると、大抵のことが、何でもなくなります。

なかなか着けることはできないですね。
しかし、着ける努力は必要です。
瞬間湯沸かし機の私が、言える立場ではないですが、肝に銘じます。

この室、衣、座のフレーズを繰り返し、思い浮かべることがあります。
後は観世音菩薩様におすがりします。

イライラした時は、腹が立って仕方がないときも、柔和忍辱の心で乗り切ります。
危機一髪で助かったことも、いっぱいです。

するが堪忍、するが堪忍ですね。
この世は、空(くう)です。
今あること、イライラすることも、腹立たしいことも空(くう)なんです。
世捨て人ではありません。

イライラしていても、それ一時の仮の感情です。
一生その感情に左右されることはありません。
嫌なことは忘れます。
右から左に流します。(♪右から右から、流れてく 僕は左に受け流す)

本当に、役立つ愛情のあるお叱りは、まっすぐに受け止めなければ、自分の成長はありません。
しかし、世の中、意味のないことに腹が立ちます。
そのことは、一時の空(くう)の出来事です。

言い換えれば、この人生も空(くう)でもあります。
前世も、現世も、来世も「空(くう)」です。

しかし、この現世で精一杯生きないと、修行をしないと、意味がありません。
生かして頂いてもらっています。

その大事な天命の前に、堪忍することも必要です。
そのことによって多くの人の人生も変えるのですからね。
特に責任のある方は、それだけ配慮や考慮が、人一倍必要です。

歴史から学ぶことは多いです。
人の生き方、まだまだ「終焉」まで時間があります。
今日も精一杯生きるは、難しいです。

でも、日常生活の中で、目線を下げて、ささやかな幸せをあるものを、再確認することは、人生を豊かにします。
ありがたいと感謝です。

今日も一日平穏無事に過ごせるのが、一番の幸せです。
そう再確信させてもらえる時間が、私にはこのブログです。
この記事書いているときが、無心に居られます。
それの再確認です。

最近、長文になっているのは、それだけストレスもあるということですね。
偉そうに言っても、凡夫です。
笑って下さい。

最後まで、長々しい記事にお付き合い下さいましてありがとさんです。
長い文章読むに疲れて、イライラも忘れてもらえるとありがたいです。