''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

神戸三ノ宮で、今年最初の家族会です。

私は京都に住しています。
郷里播州の両親と久しぶりに家族会です。
ちょうど距離的な中間点が、神戸三ノ宮ということになります。
昼に待ち合わせです。

 

我が家では、家族会と言えば、三ノ宮か、丹波篠山です。
自ずと理由は、距離的なことで共通です。
今回は、祝杯のため、軽くアルコールが入ります。

 

父が一月生まれ、母が二月生まれて言うことで、両者の顔を立てての、手間省きの親不孝者の赤さかな考えです。
場所は、そごうの新館のお寿司屋です。
昼の事ですから、軽い目です。

 

店内は、すこし高級感がありますね。
お客もそこそこ居たので、テーブル席が埋まり、カウンターか座敷かとの選択に、やはりお座敷です。

 

最近のお店は、お座敷も掘りごたつ風にテーブル風です。
一応、床の間があり、お軸が掛けてあります。
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平常心是道
前にも紹介しましたが、[びょうじょうしんこれどう]と読みます。
「へいじょうしん」と言わずに「びょうじょうしん」と読みようです。
この辺が禅語です。禅の言葉です。

 

意味は、日常生活とは、茶飯事にこだわることなく、伸び伸びと人生を味わって生きたいものというようなところです。
もっと奥深いですね。

 

とりあえず、意味としてはこんなものです。
しかし、精神世界は深いです。
平常心で居られること、これが難しいですね。

 

イライラ虫も出て来ます。
腹立つこともありますからね。
いつも、変わらずの精神を保つことは、大変です。

 

とりあえず、二人の誕生日に乾杯です。
続いて料理が出てきました。
両親は同じ料理です。
食後にアイスの付いたセットです。

 

寿司屋にアイスもと思いながら、お隣も同じものを食べておられます。
カウンターも同じような器ですね。
どうも人気のメニューです。

 

お寿司もどうしてなかなかいいようですね。
板前で職人が握っています。
いつも私が行く寿司屋と違って回っていません。
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私の料理が来ました。
プチと言う音が聞こえましたね。
両親の物より値段の張る料理を注文したはずなのに、その寿司は美味いまずいのと違うレベルです。

 

寿司のネタが乾いています。
ウニもくったりしています。
30分以上時間が経っています。
作り置きしていたようですね。

 

いつもの私の行く回る寿司でさえ、廃棄のことでしよう。
職人として恥ずかしいものが、私の前に料理として来ています。

 

巻き物だけ、今さっき握ったようです。
海苔がパリッとしていましたね。
脂の多い大トロ以外は、作り置きですね。

 

備前風のお皿が乾いています。
最低の所業です。
しかし、両親の料理はその場で握ったもののようです。
人気のメニューなので回転がいいのでしょうね。

 

祝いの席です。
クレームは言うことは控えました。

 

「ははぁん」、これがさっきのお軸の平常心是道ですね。
これじゃ、平常心どうよって_?
こんな落ちが付いていました。

 

客としては、二度とこの三ノ宮のそごうの寿司屋には参りません。
客をどう思っているのか、恥ずかしい所業です。
腹立つところですが、父母もにこやかに食事していました。

 

ここは、神崎与五郎、寿司屋の堪忍です。
料理を出された方は、分かっているはずです。

 

そんなこんなで、いろいろありましたが、親子で時間を2時間30分ほど過ごしました。
ありがたいと感謝しています。

 

両親の年も考えると、あと何度一緒に食事できるのか不安です。
それでもありがたいと感謝です。

 

今日も一日雨でしたが、平穏無事に過ごせそうです。

 

最後まで、つたない話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。