''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

井筒の最中(もなか) 小倉大納言を食らう より。

先日、お菓子を買うと、サービスに幾つか試食用に、お菓子を店員さんに頂いきました。
その中にあったのが、井筒の最中です。
最中と書いて、「もなか」と読んで下さいね。
井筒のもなかは、初めてです。

 

今日朝にいつものように朝食に、ホットコーヒーとヨーグルトを頂いておりました。
そんな中、テーブルにあった井筒の最中に、目が行きましたね。
すると、やはり朝食の一つとして頂きました。
モーニング最中、意外と美味いです。
品のいい甘さと、餡の加減がいいです。
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熱い日本茶にもいいですが、意外とブラックコーヒーにもよく合います。
砂糖の上品な味わいと、寒天でまとめられた小倉の大納言小豆の品いい餡が、味も香りもいいですね。
小倉とは、通常は、粒あんのことです。
ネットで少し詳しく検索すると、以下の事が記されていました。

 

小倉あん - つぶし餡やこし餡に蜜で煮て漬けた大納言を加えて加工したもの。
煮崩れしにくい大納言種の小豆の粒餡と粒の小さい普通小豆のこし餡を混ぜたものが本来の小倉餡であるが、近年では粒餡の事を小倉餡と言う場合も見受けられる。

 

小倉餡の名前の由来は809年頃に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を、現在の京都市右京区嵯峨小倉山近辺で栽培し和三郎という菓子職人が砂糖を加え煮つめて餡を作り御所に献上したのが発祥とされる(異説として小豆の粒が鹿の斑紋に似ていることから、鹿と言えばモミジ、モミジと言えば紅葉で有名な小倉山(京都)との連想からというものもある)。

 

その後、小豆の栽培地が丹波地方などに移り品種改良も進んで古来の小豆「小倉大納言」は亀岡でわずかに残るだけとなっていたが、近年になって嵯峨小倉山の畑で栽培も行われるようになった。
(ウィキペディア参照)

 

私は異説の方で、小倉あんと読んでいました。
どんな最中(さいちゅう)でも、勉強になるものですね。
しかし、お菓子や食品の中で、大納言と言えば、大納言小豆のことが多いです。
何故、大納言という官名が付くのか、調べてみました。

 

俗に、「大納言は、殿中で抜刀しても、切腹しないで済まされるということから、煮ても腹が割れない(切腹しない)小豆を大納言小豆と名付けた。」と言われています。
この説が多いみたいです。

 

ただ、俗説だと思われます。
武家の所作に、殿中で抜刀すれば、切腹であることに例外はありません。
唯一例外は、将軍家が抜刀して、お手打ちなら主人ですから、当然罰則はありません。
江戸幕府に於いて、大納言の官位を手にすることが出来る家柄は、原則として尾州紀州の2家しかありません。

 

大納言と言いながら、正確には権大納言です。
権とは、定員外という意味があるようです。
公家の大納言のような役務はしていませんからね。
大納言は、別名「亜門」と呼ばれます。

 

別名では、中納言の「黄門」さまの方が、有名です。
あちらの水戸家は、(権)中納言の家柄です。
尾州紀州は、権大納言の家柄です。
格式が、もっと高いです。

 

因みに、朝廷で、大納言より高い役職は、内大臣、その上が右大臣、その上が左大臣、その上の最高位が、太政大臣です。

 

内大臣とは、内府と呼ばれます。
歴史好きなら、内府と言えば、徳川家康公を思い出される方も多いはずです。

 

文禄5年5月8日(1596年6月3日)~慶長8年2月12日(1603年3月24日)の間、一大事の関ヶ原の戦いから江戸幕府至る間、内大臣(正二位内大臣兼右大将)でもありました。
当然、内大臣であって、征夷大将軍でもあります。

 

そして、江戸幕府が開かれたと言う歴史の流れにあります。
後になって、家康公は、最高位の太政大臣(元和2年3月17日(1616年5月2日)~元和2年4月17日(1616年6月1日)(死亡日))になっています。
(ウィキペディア参照)

 

それにして、極位極官に極めたからとして、極めることが一番の楽しみでなく、その過程が面白かったのだと思いますね。
秀吉公が、関白太政大臣の天上人となってからの、辞世の句にあるように、儚いものだと感じます。

 

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

 

ちょっと儚いです。
死を迎える半年前の辞世の句と聞きます。

 

人生とはそんなモノかもしれないんでしょうかね。
それじゃ、中国の『枕中記(ちんちゆうき)』の故事にある、あの「一炊の夢」じゃないですかね。
ある旅人が、枕(まくら)を借りて一眠りして、その間の夢で、立身出世して栄華を尽くした一生を送ったことが、目覚めてみると、まだ炊きかけの粟飯(あわめし)も出来上がっていなかった程の短い時間にすぎなかったという話です。

 

それが、人の人生だと言う事の戒めと取れます。
それじゃ、井筒は八つ橋が有名なだけに、この話が琴線に触れたんじゃないですかね。
それより、私の人生もまだまだ、人生の最中(さいちゅう)です。(「もなか」と読まないで)

 

こんなひどいオチになりました。
♪チャンリンチャンリン デンデン~

 

日々の暮らしの中に、ささかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝して暮らさせて貰っています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、中身の詰まっていない最中の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。