''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ハウスのミートソース マカロニグラタンなランチ より。

朝も4時半過ぎに起きました。
久しぶりの仕事復帰に緊張しました。
膝の痛みも、少しは鎮静化しております。
しかし、9時間を超える仕事なると、やはり膝が不安です。

 

今日も、仕事帰りにクリニックによって来たところです。
リハビリを受けると、幾分か痛みが鎮静化します。

 

そんな中、昨日のランチは、ハウスのミートソース マカロニグラタンでした。
差し入れです。
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それにしても、ハウスが大阪の東大阪に本社があったのは知りませんでした。
パッケージを見て、驚いたところです。
大手の電気メーカーが、大阪に多い事も知っています。
また、製薬会社も大阪に本社の多い事も知っていました。

 

しかし、あの家のマークでお馴染みのと言う懐かしいフレーズが口から出ます。
ハウスと言えば、言わずと知れたハウス食品世界名作劇場です。
私の中では、1986年の「 愛少女ポリアンナ物語が一番印象的です。

 

このアニメの中で、少女ポリアンナよかった探し」を始めます。
これが私の「よかった探し」の原点です。
これを身近に見つけて、幸せ感じると言うのです。
それも、特別な幸せでなく、日常の中のささやかな幸せです。

 

目線を下げた所に、幸せが落ちています。
それを拾うか、拾わないかだけです。
愛少女ポリアンナ物語の原点は、キリスト教ですが、仏教の中でも言えます。

 

当時、学生の私は、仏教学の専門課程の単位を取得していました。
そのテストの問題の一つに、「あなたにとって宗教とは何ですか?」と言う設問がありました。
こうした曖昧な設問に対しては、私の得意とするところです。

 

私にとって、宗教とは「歓喜」であるという前提のもとに、自論を進めました。
歓喜つまり、喜びがなければ、宗教ではありません。

 

常に人が、神仏に祈るのは、利益です。
でも、本当の宗教は、利益を求めることでなく、歓喜つまり喜びを感じる事なのです。
今日も、お蔭さまで、ありがたく暮せました。
そうした歓喜が、宗教の本質だと論じました。

 

答案の用紙に書ききれず、裏面までピッチリ書いた得た得点は、90点の「優」の評価でした。
懐かしいです。
優良可の三段階の評価に、四苦八苦したものです。
もちろん、ただ一度だけ、不可の苦い経験もあります。

 

喜べるから、続けられるのだと思います。
落語「世帯念仏」みたいに、自分の食事の都合で、読経しているのでは、ありません。
信心の欠片も感じられません。
米朝さんの「南無阿弥陀仏」の読経は、いいですね。
何やら、一万円札でも、降ってきそうです。

 

それを聞くと、心底ありがたいと感じます。
でも、米朝さんは、神主さんの御家柄ですから、仏様との御縁は薄いように思えます。
それだけに、落語の上での精進は、並大抵ではないように思えます。

 

宗教において、愛という言葉もキーワードになります。
キリスト教における愛とは、神が人間に与える無償の愛(アガペー)でしょう。
仏の世界では、慈悲慈愛と言う事になるのでしょうかね。

 

でも、仏教では「愛」を否定していると言います。
愛を、執着心と捉えているからでしょう。
むしろ、仏教においては、愛つまり執着心から離れることを旨としています。
愛のイメージと、本質は少し違っているからでしょう。
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ハート型したグラタン皿に、ハウスのミートソース マカロニグラタンが焼きあがっています。
酸味のあるミートソースに、マカロニが負けていません。
天に、乾燥パセリを降らせました。

 

我が家に到着して頃には、まだ温かかったです。
酸味の効いたミートソースも、美味いです。
お手軽の価格で出来るのが、これまたありがたいです。
相方のどや顔で、こちらをチラ見しています。

 

お蔭さまです。
そんな感謝でいっぱいです。
ご馳走様でした。

 

日々の暮らしに、ささやかな幸せがあります。
ありがたいと感謝して暮させてもらっています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、家のマークで頂いたランチの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。