''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

愛娘ゆうゆうの離乳食を始めました より。

昨日6月16日に、愛娘ゆうゆうの離乳食を開始しました。
まえまえから、今月末にでも始める予定の離乳食を、少し前倒しして、昨日始めました。
今月末には、いろいろと事情があって、始めることが出来ないからです。

ともどうあれ、最初の一口は、ゆるい粥です。
粥で言えば、5分粥ほどです。
味も付けていないごはんをすり潰して、お粥風にしました。
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お手軽に、百均で見つけて使いました。
原始的な方法ですが、食べ物ですから、口に入れて美味しく食べてもらう親の愛です。
嫁がすりすりしています。

最初の一匙には、少し違和感を覚えたみたいですが、すんなりと口に入れてモグモグして、ごっくんしてくれました。
匙にして、2口程食べさせましたが、それほど嫌がっていません。
大成功と言うった感じです。

嫁の保健所の離乳食講習で習ったように、金属製のスプーンは使いませんでした。
木製の塗りの入ったスプーンです。
形状からすれば、洋食器のスプーンと言うより、匙ですね。

日本の平安初期の貴族の食事も、匙が付いていました。
薬師が使うような匙ですね。
本来は、金属製の匙だと思います。
大陸からの習慣がそのまま貴族にも継承されていたことに寄ります。

大陸からの渡来の中には、百済新羅と言った日本と仲の良かった国々もあった訳です。
今となっては、考えられないほどの関係でもありましたからね。
仏教も、こうした国から入って来たのは、歴史の事実です。

ただ、渡来と言っても、もっと遠い大陸の血も入って来ていました。
ユダヤの一族です。
特に有名なのが、秦氏でしょうね。
平安京も作った一族です。
最先端の知識と技術を手にしていた特殊な一族ですね。

京都伏見の伏見稲荷大社も、この秦一族が持ちこんだ神様です。
稲作と言う日本と切っても切れない文化も定着された功労者の一族かもしれません。
太秦も、この秦氏の領地でもあった事は、有名です。

京都の平安京も、ヘブライ語で、「平安の都」を意味するエルサレムを意味すると聞きます。
もちろん、ヘブライ語を語源とする名称に、大きく関ったのは、唐で景教の知識があった空海の後押しがあったことは、否めません。
もちろん、和気清麻呂の存在も大きいです。

たった一匙の粥からも、多くのことが関係していますね。
そんな平和で歴史のある国に生まれたことに感謝です。
愛娘に、一生食べることに事欠かないように、神仏に念じるばかりです。

そう言えば、昨日もう一つ初めての出来事がありました。
娘と二人で、お風呂に入りました。
いつもは、ベビーバスに入れています。

超未熟児で生まれて、未だに5000gを少し越えた程の小さな体には、熱い湯船でのお風呂タイムは、無理がありました。
季節も暑くなって、風呂の温度も39度でも、十分になりましたので、私がゆうゆうを抱いて、湯船にはいりました。

気持ち良さそうに、足を延ばして、ご満悦の様子でした。
少しも嫌がりません。
ほっとした気持ちです。

これから、まだまだ、普通の暮らしになれるように、祈るばかりです。
ありがたいと、神仏に手を合わせます。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、ゆうゆう最初のもぐもぐぶくぶくの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。