''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

残ったトマトソースの使い方 その3 ピザトーストのランチ より。

朝からいいお天気です。
キッチンにも強い日差しが入ります。
我が家は、南向きの窓が3面、東向き1面、西向き1面と、よく日差しが入ります。
冬と言うのに、昼間は汗ばむ事も多いです。

 

じめっとした家よりいいです。
前に住んでいた伏見の長屋は、ひんやりとしていました。
その分、世俗と隔離されたように、静かでした。
長屋暮らしも悪くないと、今でも思います。

 

身の丈にあった暮らしが一番です。
先日夕食に作ったトマトソースが、残っています。
それを、今回は三弾目の企画です。
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残ったトマトソースは、ランチタイムのピザトーストに早変わりです。
嫁が作ってくれました。
キノコやピーマン、玉ねぎに、とろけるチーズを乗せて、グリルで焼いたものです。
トマトソースをトースト面に塗っています。

 

トースト1枚半の量なら、ランチタイムにちょうどです。
家で焼くピザは、我が家の定番です。
いつものは、嫁がピザの生地を練って、東芝の石窯オーブンで、焼いてくれます。
熱々のピザが、我が家の食卓で頂けます。

 

私の好物です。
乳吞み児のゆうゆうが、もう少し大きくなったら、ゆうゆうとピザの取り合いになりそうな予感です。
ピザが焼き上がると、いつもゆうゆうの悶絶するような声が聞こえます。
オーブンの出来上がり音より、ゆうゆうが先に教えてくれます。

 

その時のバトルに備えて、今から秘策があります。
それは、タバスコ攻撃ですね。
今から、嫁の怒りが見えますよ。
辛いタバスコかければ、私のモノです。

 

卑怯と言うこと莫れです。
これも策です。
策と言えば、大阪冬の陣の最中、家康の採った南蛮から取り寄せた大筒で、大坂城を攻撃して、たまたま被弾した1発で、淀の方が下女の負傷を目にして、和睦になた曰くはよく耳にします。

 

豊臣の家老の片桐且元の情報から、淀の方の居住区を中心に攻撃させたものと思われます。
且元は、これを知って無念に思い、後に自殺したとの説もあるほどです。
ただ、持病があったといいますが、大坂夏の陣から20日の28日に死亡したという辺りからすると、いろいろと考えられそうです。
且元は、大和国竜田藩初代藩主になるも、且元の子孫は、何かの崇りであるかのように、何代も死亡しているようです。

 

考えると、且元と言うのも、不思議な武将です。
天正11年(1583年)の柴田勝家との賤ヶ岳の戦では、一番槍の功を認められて賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられています。
論功行賞では、秀吉から摂津国内に3千石を与えられたと聞きます。

 

また、官位も五位下 東市正(ひがしのいちのかみ)に任官され、この時に豊臣姓を下賜されていうようです。
秀吉時代に官位には、江戸時代では見られない官位が多いです。
この東市正(ひがしのいちのかみ)もあまり聞かない官位ですが、これも且元をよく表しているように思えます。

 

東市正(ひがしのいちのかみ)とは、律令制に於いて、都の東西に置かれていた市を監督する役職の長と言う意味のようです。
ただ、市ならぬ、市の子並びに孫の監督する役職なら、分かりそうです。

 

この且元の協力があって、大坂の陣に勝利したことは明らかです。
本人としての不本意だったと思います。
主君の豊臣家を滅亡させたことは、事実でしょう。

 

策あってのこと、分からぬのは、浅はかなことです。
いよいよ、明日は、夏の陣での終焉になるんでしょうかね。
結果の分かっていながらも、少し哀れで仕方ないです。

 

戦をして、勝つつもりがあっても、戦を知らぬ者が総大将では、どうにもなりません。
これほど無意味な戦は、この大戦くらいでしょうね。
その意味では、武士として、純真に武門の誉れを求めた戦でもあったはずです。

 

大阪でも、真田丸人気ですね。
いろんな所で、6文銭と赤鎧のグッズを見ます。
もう少し落ち着いたら、真田丸跡辺りを散策してみたくなります。

 

春になったら、お弁当でも持って、大阪城辺りの散策に行きたいものです。
その時は、特製のトマトソースを使ったホットドックかホットサンドでも、お弁当箱に詰めて、頂くことにしましょう。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、トマトソースの残り物は、ピザトーストに使える話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。