''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

2歳児ゆうゆうのカエルさんの長靴 より。

朝から寒いです。
この時期の、中央区、北区、都島区、いえいえ、常套句(城東区)なりつつあります。(大阪限定)

 

昨日は、郷里播州に帰っていましたが、行き帰りの道中、高速道路での雪には、閉口しましたよ。
積もるような雪の降り方では無かったですが、やはり、冬の雪は怖いです。

 

郷里の母が、持ち帰るように用意してくれていたモノに、2歳児ゆうゆうの長靴がありました。
図柄は、カエルさんです。
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雨降りにカエルは、いいですが、私的には、無事に帰るを意味していると捉えています。
家族が、無事に帰ってくるのは、普通の事と思うのは、間違いです。
神仏のご加護によって、我が家に無事に帰ってくれたのです。

 

東日本大震災では、この普通の日常が出来なかった方が多かったです。
私の思う幸せは、遠い所にはありません。
近くにあるのが、幸せです。
少しだけ、目線を下げた所に、ささやかな幸せを見つけられるのが、幸せです。

 

私が、このブログで最初から提唱している「よかった探し」が、私の信条です。
このブログも、来月で10年になります。
意味のあること、意味のないこと、それにを気にせず、書き続けることが、私の日々の暮らしです。

 

この10年で、京都から大阪にやって来て、嫁が来て、子供が授かった、今の私の暮らしがあります。
10年前には、予想すらできなかった筋書きのない現実社会です。
それでも、目線を下げて、「よかった探し」をしたのは、間違いではなかったと確信しています。

 

今、2歳児のゆうゆうが、私のモバイル用のキーボードをいじっています。
毎日、何かやっているのだと、認識はしてくれています。
「これ何」って、ノートパソコンを触って、聞きます。

 

これも日常ですが、ささやかですが、幸せを感じます。
ありがたいことです。

 

日日是好日」と言いますが、晴れの日もあれは、雨の日もあります。
人の人生、いいことばかりではありません。
それも、人生です。
生きると言うのを、ある意味、味わいたいです。


禅の言葉、禅語の中に、「無事是貴人」(ぶじこれきにん)と言うのがあります。
よく茶席などの軸として、掲げてありますよね。
臨済宗の宗祖、臨済義玄(りんざいぎげん)の『臨済録』の中に、「無事是れ貴人、但(た)だ造作すること莫れ、祗(た)だ 是れ平常なり」の典拠からだとも聞きます。
無事と言っても、無事に家に着いたと言う無事のい意味ではないようですね。

 

意味する所は、「ああのこうのと思慮分別にわたらず、小細工をせず、あたり前のことをあたり前にやることである」と我が愛読書『禅語の茶掛 一行物』の中で、著者芳賀幸四郎氏の解釈です。
深い意味です。

 

日々の暮らしを大切にして、神仏のご加護を頂きながら、暮らさせてもらうだけです。
ありがたいです。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
日々感謝して生かせてもらいます。
ありがとさんです。