権力とお金があれば、こんな新型コロナウイルス感染で、首都閉鎖しようかと言う緊急事態でも、ゆっくりと花見をして、写真撮影を楽しめるんですよね。
よほど、「桜を見る」のが好きなんでしょう。
♪春を愛する人は 心清き人~
『四季の歌』(作詞:荒木とよひさ、作曲:荒木とよひ)を思い浮かべました。
春はいいですよ。
桜もいいです。
でも、春と言えば、桜だけではないんですよね。
花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや 藤原家隆
家隆卿のこの和歌を聞いて、日々の暮らしの中で、ささやかな幸せを噛み締めています。
贅沢とは程遠いけれど、親子3人の日々の暮らしの中に、幸せを感じます。
大切な一日です。
武志の書いた 「いつものと変わらない1日は 特別な1日」を噛み締めます。
家の近くで桜が咲いています。
エアーお花見ですが、気持ちだけお裾分けです。
家から1分もかからない所に咲く桜です。
娘の手を引いて、桜を暫し楽しみます。
ありがたい一瞬です。
もし、子供が居なかったなら、こんな幸せを味わえただろうか?
もし、50歳にして遅い子供が授からなかったなら、こんな幸せを味わえただろうか?
もしもしの仮定では真実は見えて来ないけれど、私にはいつものと変わらない1日が、何より特別な1日です。
ありがたいと神仏に手を合わせます。
もし、私49歳嫁42歳の初婚同士の晩婚夫婦が、観音様に「子供が欲しい」とお願いして、観音様が特別な授けて戴いた愛娘と出会えていなかったら、この幸せもなかったかもしれません。
観音様に、夫婦して手を合わせます。
日々の暮らしは単調なモノながら、無くなって初めて、大切だったと気づくものです。
それは、仮の姿のモノ(エアー)ながら、特別なものと日々の暮らしの中で感じられることが、何より大事です。
そうすれば、人の日々の営みも、特別な毎日となり続けられるように感じます。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。