保育園の登園停止要請を受けて、平日は娘と過ごしています。
すでに、早15日が過ぎました。
月日の流れは早いです。
昨日といひ今日と暮らしてあすか川 流れて早き月日なりけり by 春道列樹(はるみちのつらき)
和歌が思い浮かびます。
それとも、名物 飛鳥川の釉薬の流れを思い出した方は、相当の数寄モノです。
万葉仮名なら、「安洲賀」、「阿須伽」あたりはでしょうね。
万葉仮名と言えば、落語の「はてなの茶碗」が思い浮かびます。
噺は、京都清水さんの音羽の滝の近くの茶店で、油屋の男が休憩していた。そこに京では有名な茶道具屋の金兵衛・通称「茶金」さんが、茶屋の1つの茶碗を不思議こねくり回しながら、「はてな?」と首をかしげて茶店を出る。
それを見ていた油屋は、あの茶金に目が留まった茶碗だけに、さぞかし値打ちのあるものに違いないと思いつく。そして、茶屋の店主にその茶碗を買いたいと申し出るが断わられる。断る店主に手元が滑って茶碗を割ると言われて、しぶしぶ油屋は最終的に二両で売った。
油屋は、京の茶金の店へ押しかけ、対応した番頭に千両の値打ちがあると言って茶碗を売り込むが、どう見てもただの安物の茶碗と買い取りを拒否される。番頭と押し問答となり金兵衛本人が出て来た。その茶碗について聞かれた金兵衛は、ヒビも割れもないのに、どこからともなく水が漏れるので、「はてな」と首をかしげただけと打ち明けた。
その後、この話が、茶金さん出入りの関白・鷹司公に伝わり、鷹司公自らによつて「清水の音羽の滝の音してや 茶碗もひびにもりの下露」という歌が詠まれる。それが時の帝に話が伝わり、直接茶碗を見たいと所望されて、茶碗に水を張って、水が漏れるので「はてな」と感心されて、茶碗には万葉仮名で「はてな」の箱書きが加わった上に、これを鴻池善右衛門が千両で買い求めたという話の流れです。
わらしべ長者的な、面白い話の上りが、千両になったと言うから、演者の腕の見せ所の話ですね。
ただ、この噺、元をただせば、戦後途絶えていたのを資料を基に再構成したもので、基本の筋はそのままだが、ほぼ米朝師匠による創作とされていると言う。『ウィキペディア(Wikipedia)』参照
時代からすれば、江戸の後期と思われるので、この関白は、鷹司 政通(たかつかさ まさみち)公であろうと推測されます。
文政6年(1823年)に関白に就任、天保13年(1842年)には太政大臣に就任、安政3年(1856年)に辞任するまで30年以上の長期にわたって関白の地位にあった御仁です。
お仕えした帝は、光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇と言うことになりますので、噺は創作ですが、そんな時代であったと思えば、より面白くこの落語が楽しめます。
はてなと言えば、今日の郵便ポストに何か入っていると、嫁の声がしました。
もしかしたら、マスクの配布かと思えば、回収したので、我が家に届くはずもないです。
でも、手作りのマスクでした。
嫁が、静岡の母と慕う我が家では、「静岡のばあちゃん」と4歳児ゆうゆうと呼んでいます。
すでに、2日ほど静岡まで足を延ばして、ゆうゆうにも逢って貰ったことがあります。
4歳児ゆうゆうの分の手作り子供用マスクです。 (台はきれいにしています)
私たち夫婦の分も入っていました。
私とゆうゆうのお揃いバージョンも、この他にあります。
籠城している我が家には、支援の品は貴重です。
支援の品と言えば、時同じくして、嫁の戦利品の16食分のテーブルマークのパックごはんが届きました。
いろいろと支援があっての籠城です。
ありがたいと感謝しています。
まだまだ続くこのコロナ禍にあっても、外出自粛をして、感染阻止に繋げたいです。
とは言え、大阪では、この最中パチンコ屋が開いていて、施設の氏名が公開されています。
家の近くではないですけれどね。
マスクをして、手洗いをして、感染拡大阻止に努めたいです。
もう少し気持ちのモチベーションを維持することとに、重ねて努めたいです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。