コロナがなかなか収束していません。
大阪も感染者が多いです。
何やら野戦病院も開設するやら聞き及びます。
難しいことは分かりませんが、とりあえず、ワクチン接種を進めるしかありません。
私も、1度目のワクチン接種はしましたが、2度目はもう少し先です。
2回ワクチン接種しても、感染する方も居られますが、その確率は下がるのは明らかなようです。
また、感染しても重症化しにくかったり、死亡事例がなかったりと、大阪府の感染者のデータからしても、他国の公表したデータとそれほど大きな齟齬はありませんね。
変異株の猛威には驚きますが、まだまだ変異すると思って間違いないはずです。
意図して作られた作られたウイルスとも言われることが多いですが、世界にはこうした驚異のあるウイルスを作って、世界に広げようとする悪意のある国もあるのも事実です。
そうした国や地域には、天罰も下りますよ。
「天網恢恢疎にして漏らさず」と言いますからね。
どこか痒いわけではありません。
天の網の中から、悪も逃れることは出来ないという意味だと聞いています。
誰が意図して作ったのか知らないけれど、世界の多くの方に迷惑をかけているのは事実です。
手をあげることはないでしょうが、はっきりとして分かるでしょう。
天罰が下って、天変地異の災害が国中に広がるはずです。
人の上に立つものは、時に人の声を聞くのも必要です。
聞くと言えば、保育園で先生に教えてもらった事があります。
子供の絵についてです。
子供の描く絵は目で見ずに、耳で聞くものだと教えてもらいました。
禅の言葉、禅語のような頓智のような意味愛です。
禅語の中に「向南見北斗」(南に向いて北斗を見る)と言うのがあります。
そう南を向いて、北斗つまり北を見ることは、通常できません。
鏡を使って見るというような頓智問題ではありません。
常に芯になるモノを意識して生きろと言うような意味愛だと言うと、少し分るかもしれませんね。
禅者の中には、「頭で考えるな。かかとの皮で工夫しろ」と言われることがあると愛藏の書物『禅語の茶掛 一行物』(羽賀幸四郎著 淡交社刊)で書いてありました。
ここまで来れば、なかなか難しい表現ですね。
「耳で見て目で聞くならば疑わじ おのずからなる軒の玉水」
大燈国師の和歌とも聞きます。
因みに、軒の玉水とは、雨だれのようですね。
雨だれと言うと、ショパンの「雨だれ」のピアノをイメージしますね。
「耳で見て目で聞く」とは、南に向いて北斗を見ると同じ意味だと書かれています。
それならば、我が子の抽象画のようなこの絵も、見るのでなく、私の心で聞いてやろうとして見ましたが、親の私には何も聞こえ来ません。
まだまだ親としての修業が足りません。
映画「トロン」の世界にも、八星の天守閣にも、まだまだ近づけません。
聞くと言えば、香道の世界でも、「聞香」、つまり香を聞くと言えば言うようです。
子供の描いた三角のオクラの絵からは、オクラの青臭い野菜の香りもしませんです。
ゆうゆうは、オクラが唯一苦手です。
とろとろしたものが苦手でしたが、最近は納豆も食べてくれます。
ありがたいことです。
先日家で作ったプチトマトとソーセージのカレー焼きそばです。
いつものように冷蔵庫と相談して、残っていたプチトマトを使いました。
それに、嫁戦利品のソーセージ、キャベツ、人参、玉ねぎなど、残っていた野菜を使いました。
味のベースは、ウスターソースに、カレー粉をフリフリして仕上げました。
なかなか美味いと思います。
5歳児ゆうゆうも完食してくれました。
夏場には、カレーが合いますからね。
食欲も落ちずに、ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。