''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

エースコック「スーパーカップMAX 鶏ガラ醤油ラーメン」の妙 より。 

時折スーパーの特売で購入して来たカップ麺が家のストックにあります。 

いろんなモノがありますが、嫁が買うのはエースコックカップ麺が多いように思います。 

もちろん、例のスーパーカップシリーズが多いように感じます。 

 

夏場は、キャンプで食べようと、ストックしていたのだと思います。 

冬場は、休日の寒い時のランチ用にストックしているのだと思います。 

 

私も、このストックしている中から、ランチにカップ麺を頂くことがあります。 

でも、子供の頃は、まだまだインスタントカップ麺が高価で、家で度々頂くものでは無かったです。 

 

確かドラえもんでも、のび太が急なお小遣いを2000円貰って、その使い方を模索する場面がありました。 

カップ麺を10個一気に食べるのか、プラモデル1箱買のかを模索しているシーンが思い出されます。 

 

当時の私でも、カップ麺を10個も一気には食べられなかったです。 

ただ、そんな願望はありました。 

結局、2つ食べればお腹いっぱいでした。 

 

その時の事を思えば、カップ麺1個が200円でしょうが、私的には200~250円位の価格だったと記憶しています。 

もちろん、それほど売れていません。 

主流は、インスタントカップ麺でなく、袋麺だったと覚えています。 

こちらは、1個50~80円ほどだったと記憶しています。 

 

コスパを考えれば、一食にもならないカップ麺1個が200円だというのは、コスパが悪いということです。 

 

事件が起こります。 

私が小学校2年生の時、あさま山荘事件が起こり、テレビ局の中継が、この事件一色になりました。 

 

現場の取り巻く警察官の食事は、弁当でした。 

極寒の山の中、弁当は凍っています。 

 

そんな中、大阪の新聞社の報道が、弁当に変わるカップ麺を配布して、警察官が食べているシーンが有名になりました。 

ここで、カップ麵の需要が激変します。 

 

寒い最中でも、温かいモノが食べられるという幸せです。 

この事件を境に、世間にカップ麺が広く認知されて、現在の礎になって言った経過がありました。 

 

それまで、ラーメンには、どんぶりが必要でした。 

でも、インスタントカップ麺では、どんぶりが不要です。 

それ以来のモノ草太郎の若者の出現です。 

寒い時に、温かい麺は、何よりのご馳走です。 

 

インスタント麺と言えば、夜食の定番でしたからね。 

もちろん、チキンラーメンなどは、その代表格でした。 

受験勉強には、チキンラーメンの夜食が付き物だったと記憶しています。 

どんぶりの温かいラーメんや中華そばに、口を付けて英気を頂いたものです。 

 

およそ320年近くの前の、赤穂浪士の吉良邸討ち入りも、途中で蕎麦を食べるシーンがあったと聞きます。 

それが、映画やドラマでは、「全員で蕎麦を食べた」という大きな話になっていますよね。 

そんな大勢で一気に、屋台の蕎麦を注文できません。 

 

もの本で読んだ記憶だと(たぶん、池波正太郎の本)、鴨肉を細かく切って炒り付けて味を付けたものを生卵と合わせたものを、熱々のごはんの上に掛けて食べたと言う記録があったと記憶しています。 

 

それも美味いが、鴨南蛮も捨てがたいです。 

鴨葱が蕎麦の上に乗った、あの蕎麦南蛮です。 

鴨鍋が食べたくなりましたよ。 

鴨なら、ネギも美味いが、セリも美味いです。 

 

とりありえず、鴨を頭の中にイメージして、蕎麦を食べれば、頭の中で鴨蕎麦になります。 

そうそう、レモンハートで、ドライマティーニを飲むシーンで、もっとドライにするなら、頭の中でイメージして、ジンを飲むというシーンがありましたね。 

偉大な先人の話を思い出しました。 

寄席芸人列伝も好きでしたね。 

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そんなこんなで、鴨も蕎麦を無いならば、代用品のエースコック「スーパーカップMAX 鶏ガラ醤油ラーメン」ありですよ。 

これはこれで美味いし、腹も膨れます。 

これにおにぎりは、欲しいところです。 

 

夜食を食べてから、吉良家に討ち入りして、本懐を遂げたと言えば、夜食の蕎麦は何よりの力強い味方のはずです。 

47人の吉良家の討ち入りには、6名の支援者があったと言います。(『佐藤条右衛門覚書』より) 

準・義士ですね。 

 

吉良家案内役 

表門 大石一族の大石三平 

裏門 三平の父・大石無尽人  

 

見張役 

堀部弥兵衛の甥・堀部文五郎 

堀部安兵衛の従妹・佐藤条右衛門 

近松勘六の中間の甚三郎 

 

負傷に備えての医師 

浅野家元藩医の寺井玄渓の息子・医師の寺井玄達 

 

やはりそしたスーパーマックスな支援者が居ないと、成功しなかったかもしれません。 

もっと多くの方にそうした裏方ありきを知って貰えれば、これ幸いです。 

 

親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               

ありがたいことです。             

             

ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               

ありがたいことです。               

               

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               

神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               

ありがたいと感謝です。               

               

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