日曜日の昼前に、近くの小学校に選挙に行って来ました。
我が家はいつも家族3人で行動することが多いです。
小学校1年生の娘を独りにして、外出は出来ません。
親の留守中に、オオカミさんやって来ても困ります。
一応、玄関周りにも、家の周囲にも、防犯カメラを配置して、24時間365日録画していますので、少しは安心感を感じて暮せています。
ありがたいことです。
とは言え、数少ないお出かけなら、子供一緒に連れて行きます。
選挙もある意味、我が家のイベントです。
向かう小学校は、娘の通う小学校です。
どこに行くのかと、何度も尋ねます。
とりあえず、選挙は権利であるとともに、義務だとも感じています。
政治を論ずるなら、まずは一票投じるまでです。
それしか、民主主義の行使はありません。
もっと自由に生きる為にも、選挙の投票行動は、必要不可欠です。
立派な事を言うつもりはありません。
やってみてした後悔と、やらずにした後悔は、やって見てからの後悔の方がいいでしょう。
やらない奴が、やらない奴を批判することも、間違っていると思っています。(ファイト!!)
私の愛読する作家のお一人に、宗教学者のひろさちやさんが居られます。
講演にも聞きに行ったことがあります。
ひろさちやは本名でなく、ペンネームであり、その名前の由来とは、ギリシア語で愛するを意味するphilo(フィロ)と、サンスクリット語で真理を意味するsatya(サティヤ)の造語であると述べられています。
サンスクリット語で真理を意味するsatya(サティヤ)と言えば、テロのサリン事件を起こしたオウム真理教の施設も、この意味する所から、サティアンと呼ばれていましたね。
全く意味を介さぬことがながら、不思議なサンスクリット語が使われていたように感じます。
フィロと言えば、すぐにフェロに引きずられます。
フェロと言えば、♪ フェロフェロ私のフェロ~ こずえ(堺小春)の歌が頭の中を回ります。
耳に付く言葉や歌やフレーズは、よくあるモノです。
これが政治となると、耳障りのいい事ばかりいう政治家の主張は、矛盾が多いモノです。
政治である以上、身を切る政策も必要になります。
小さな政府、経費削減、景気対策、失業対策、国債発行、いろいろな問題を使えば、耳障りのいい言葉も何でも言えます。
でも、コロナ禍で疲弊した日本経済でも、給付金をばらまいて、増税せずに国が発展するとなれば、それがいいですが、結局、族議、役人天国、こうした特定の組織が、利益を確保するだけで、国民には利益が還元されにくい社会になっているのが、現実です。
自分が自分らしく生きて行ける為に、選挙に行って無駄に後悔のないように、行動するのは生きるために、必要だと感じます。
まずは、投票することですよ。
投票率80~90%越えると、いろいろと社会の仕組みも変わるような気がします。
政治を変えるのは、国民の一票しかありません。
子供にも、親が選挙に行くと言うのは、見せるべきことだと思います。
私の子供の頃、父も母も投票に行っていました。
選挙に行くべきものだと言う教育を受けたように感じます。
娘にも、親としてそれが見せられたと思います。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。