''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家の食卓ものがたり 胡瓜と蛸の酢の物の小鉢 より。

最近、酢の物を作っていなかったので、晩酌タイムの肴に作ってみようかと思い付きました。
それはと言うと、ご近所の方から家庭菜園で作られた直径4cmはあろうかと言う立派で大きな胡瓜を2本頂きました。
もっともって言っていいよと言われても、家族3人なら、程よい量です。


何を作ろうかと、思案して、胡瓜と蛸の酢の物です。
順当な所です。
大きな胡瓜だけに、縦半分にして、中の種を取り除きました。


これだけ大きな胡瓜の種なら、水分が出て来ます。
酢の物の味が薄まらないように、種を取り除いてから、スライサーで時短作業です。
時間にして、胡瓜の1本半をスライスして、5分も掛かっていません。


海水程度の塩分にして、そこにスライスした胡瓜を入れて暫しです。
暫し放置プレーをして、その間に、蛸のカットです。


時間を遡って、作業は、まず酢の物の地を用意です。
時短手抜きですから、小鍋にリンゴ酢と米酢を入れて、砂糖を入れて、鍋に火を点けて過熱します。
砂糖が溶けて過熱すると、お酢の余分な酸味が飛びます。
ここに、禁じ手の白出汁もしくか、出汁醤油を投じます。
甘酢なら、白出汁だけを入れます。


軽く沸かしたら、このまま小鍋を冷やして、酢の物の地を冷まします。
これだけです。
分量など気にしません。
お酢の分量は、食材の量に合わせます。
いつも目分量です。
少しだけ多い目を作ります。(地洗いも必要な時もありますのでね)


甘い目にするなら、砂糖を多く入れます。
私は、あまり甘味を求めませんので、大さじ2杯程度の少なめです。
何とか作れば、加減が出来ます。
ここに白出汁か、出汁醤油を入れます。
簡単ですが、これだけです。


美味しい酢の物が出来ます。
私はやはり、出汁を合わせるのが、美味いと思います。
料理本に書いてある合わせの酢の割合では、お酢の刺々しい感じが、好みではありません。
甘くもしていません。
やはり、小鍋で過熱するのが、美味しくなると思いますね。

 

単純な胡瓜と蛸の酢の物です。
大葉を刻んだモノが入っています。
食べる時、いいアオサがありましたので、これも加えています。

白ごまフリフリして、天には摺り下ろした生姜を盛しています。


簡単で美味いと思います。
味にうるさい娘が、食べますので、不味くはないと思います。
娘は、不味いと食べません。
実は、最近になって、蛸が好きではないらしいようです。


今回使った蛸は、鳥取産の蛸でした。
前回使ったのは、明石産の蛸でした。
やはり、明石の蛸は、味が濃かったですね。
刺身用にしたら、もっと食べたかもしれません。
やはり、少しいいモノを最初に与えすぎてしまったのが、原因かもしれません。


ただ、本当のたこ焼きも明石焼きも食べたことがありません。
その辺りでも、好き嫌いの固定化を頑張りたいところです。
前は、蛸も食べていたように思っていたのですがね。
庶民の蛸でも、十分美味しいよ。
父は、モロッコとかの外国産でも、美味しい戴けます。


蛸と言えば、「このタコが」ですよね。
関東系の方がよく言いますよね。
関西圏なら、「このアホが」みたいな、少し優しいが感じられます。


何故、「このタコが」と、上から目線の強めの言葉なのか、ご存じですかね。
江戸時代の武家には、大きな身分の境がありました。
お目見え以上、お目見え以下の境です。
将軍家の直参なら、旗本はお目見え以上、御家人はお目見え以下でした。
大名家も基本同じです。


直接目通りして殿様に会える家来(お目見え以上)と会えない家来(お目見え以下)があるんですよね。
大名家によっても、上士、下士と言ったり、また、他家といろいろと違った身分性があることもあったようです。
もちろん、警備や身の回りの諸役目で特例はあります。


武家の子供でも、お目見え以上の家柄は、お目見え以下の家柄の子供を、侮蔑するかのように、「この以下(イカ)」と言います。
お目見え以下の家柄の子供も、バカにされたままではありません。
「このタコが」と、以下(イカ)の逆が、タコだからという子供なりの知恵でしょうね。

 

大名家の家来でも、100石なら、立派な侍です。
5万石くらいなら、このクラスなら、お目見え以上でしょう。
将軍家の直参なら、200石以上がお目見え以上の旗本でしょうね。
例外は、いろいろとあります。


例外的に、石高は低くても、旗本の家柄はありますからね。
新田岩松氏なら、石高120石でも、大名格並び(交代寄合の家格)でしたからね。
参勤交代もしなければならなかったと聞きます。
明治以降も、男爵家として続きます。
形式的には、徳川家と同門?の源氏の新田義貞の一族だったからですね。


江戸時代は、やはり、生まれの出自が大きくモノ言う時代でしたからね。
今とは、別物です。
ただ、旗本家は、胡瓜は食べなかったと聞きます。(あくまで噂です)

胡瓜の切った切り口が、葵の紋所に似ているので恐れ多いと言う事なのでしょうね。
とは言え、胡瓜も漬物は、食べていたのかもしれません。
江戸時代の旗本や武士に聞かないと分かりませんね。


当時の旗本なら、このタコがと怒られそうです。
それ以上に、いきなり切り捨てて御免と言われても、困りますね。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。              
ありがたいことです。            
            
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。              
ありがたいことです。              
              
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。              
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。              
ありがたいと感謝です。              
              
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