''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

王座戦七局に見た、長生安楽富貴尊栄 の茶軸 より。

 

前人未到の藤井八冠は、凄いとしか言いようがないですね。
動画で、対戦を見ていて、気になったのが、茶軸です。

長生安楽(ちょうせいあんらく)
富貴尊栄(ふきそんえい)

【意味】
長命にして安楽、富みて身分尊く栄える事。
つまり、平たく言えば、人の願いのすべて、安らかに富も名声も得て、豊かに長生きするというこ事なんでしょう。


まさに、八冠全冠と言う到達点そのモノですね。
センスのいい茶軸の選び方だったかもしれません。

将棋の戦いの最中、気になったのが、茶軸とは、私も少し変ですね。
少しネットで調べて勉強しました。

 

よく見ても、冨貴でなく、富貴なんですね。
冨貴と言えば、鵬雲斎大宗匠の茶掛一行書の「冨貴是吉祥(ふきこれきっしょう)」を思い出します。
それに焼き栗と言う菓子です。
それに、萩焼の大ぶりの茶碗、銘「無事」です。


結婚する前に、嫁と茶道会館で頂いた見事なお点前のお薄を思い出しました。
そう、この年東日本大震災があったですから、無事と言う茶碗に、いろいろと思いを馳せました。
禅語 「無事是貴人」と言えば、茶軸としてもよく見かけます。

無事と言っても、無事に家に着いたと言う無事でなく、「但だ造作すること莫れ、祇だ是れ平常なり」と言う臨済義玄の注釈にあるように、要するに、ああのこうのと思慮分別にわたらず、小細工をせずに、あたり前のことを当たり前にやると言う事ですね。(芳賀幸四郎著 『禅語の茶掛 一行物』より)


意味深いですね。
人として、あたり前にあたり前のことをするのは、なかなか難しいです。
言うは、子供でも言えても、やるのは大人でも難しいです。
人の暮らしは、その苦悩との繰り返しだと思います。
無作無心の高貴な境涯に体達した人物、これが真の道人・貴人と言う事のようです。
大解脱を得た人間の境涯とはこうしたものようです。


凡夫には、遠い遠い見えもしない先の出来事に感じます。
凄い事ですね。
感慨深い禅語の世界に、震える思いもします。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。              
ありがたいことです。            
            
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。              
ありがたいことです。              
              
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。              
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。              
ありがたいと感謝です。              
              
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