正月3日の昼前に、お薄を点ててくれると言うので、7歳児ゆうゆうも含めて、今年最初のお茶を頂きました。
我が家では、嫁がお薄をよく点ててくれます。
一緒になる前にも、茶道会館で、お茶を立てて頂いたことがあります。
細川家の至宝典とその派生した松井家関係の展示だったと記憶しています。
利休の最後の手紙が、古田織部と共に細川忠興へ伏見での利休を見送った時の例でしたね。
手紙は、切腹の2週間前です。
細川家の家老・松井康之宛の手紙です。
現物の手紙を見ると、その時の緊張した何か空気感を感じられるような気がします。
古田織部と共に細川忠興へ伏見での利休を見送ったと言うのは、秀吉公に謀反だと思われても仕方ない行為です。
多くの交流があった利休ですが、実際に見送ったのは、この2人だけでしょう。
そこまでして、見送った事に対しての思いが書かせた手紙だと思います。
その手紙が展示してあった時の事です。
嫁と二人して行った記憶です。
最初に館内が混んでいるので、お茶の接待がありました。
そちらに案内されました。
偉いお茶の先生が点てて頂いたお茶を、焼き栗と言う菓子と、大ぶりの萩焼の茶碗で頂きました。
その時、その茶碗に「無事」と言う銘が付いていたとその先生から教えて頂きました。
その年には、東日本大震災があって、聞き間違ってはいけないと、「無事是貴人の無事ですか?」とお尋ねしたら、「今年もいろいろとありましたからね」と言葉を添えられました。
今もその時のお茶の味が忘れられません。
嫁の茶碗は、細川元総理が焼かれた茶碗でしたね。
この気分の盛り上がった中で、利休の手紙を見たしたいです。
2階の一番最初の壁側に展示されていたが、着物を着たご婦人の団体が、その手紙をゆっくりと観ずに(スルーされていたよ)、おしゃべりして行かれたのを複雑な思いで観ていたことを思い出します。
それから、11年余りの時が過ぎて、娘も含めて正月に家族でお茶を頂いています。
平穏な日々が、何よりありがたいです。
まだ、その大地震で、平穏を取り戻していない方も多く居られます。
感慨深いです。
大阪も阪神淡路大震災もありましたし、また近い将来にやって来るでしょう南海トラフ地震の恐怖がありますので、大地震の記憶を風化されてはいけないと思いますね。
今年も大きな災害がない一年であって貰いたいと思います。
正月用の富士山の茶碗です。
茶碗の正面は、松ですね。
禅語に、「松無古今色」と言う禅語があります。
茶室の茶軸で見たこともあります。
元々「松無古今色、竹有上下節」の対句です。
「松」と「竹」のそれぞれ平等と差別の特質を、そのままの情景とした語として芋愛が深いです。
地震の津波で罪のない多くの方が、どうして黄泉に旅だったのか?
罪のない子供も被害にあっています。
「松無古今色」は、普遍な平等の世界、「竹有上下節」は、真逆の差別のある世界です。
平等即差別、差別即平等、人間世界も、平等と唱えても、現実にあるのは不平等の世界です。
雨あられ雪や氷もへだつれど とくけば同じ谷川の水
最後のところが、「落ちれば同じ谷川の水」とも記載があります。
正月から難しい話になりましたので、生菓子は近くのスーパーで購入した今年の干支の「うさぎ」さんです。
7歳児のゆうゆうが、これがいいと言って、嫁に買って貰っていました。
口を甘くして、お薄を頂きました。
気分は、多少高揚しましたね。
お茶のカテキンの生でしょうか?
カフェインの覚醒作用かもしれません。
未熟な私には、未だ第三の目は、開いておりませんよ。
正月気分を味わえました。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。