突然の雪に驚かされたドライブでしたが、目的地に着くと、嘘のように快晴でした。
やはり、日頃の行いのお蔭か、観音様のお蔭だと思われます。
久しぶりの三重県です。
年に一度はやって来ることが多いです。
過去には、四日市にも行きました。
コンビナートと自然の海の共存共栄の風景も、何だか納まりがありますね。
すてきな風景でした。
今回は、自然の穏やかな海が見たくて、三重県の伊勢湾にやって来ました。
海はきれいです。
気持ちいい砂浜です。
ここに来ると、8歳児ゆうゆうが貝殻拾いを始めます。
砂浜を嫁と戯れます。
そんな非日常的な風景です。
砂浜で戯れると言うと、あの短歌が思い出されます。
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる
石川啄木の歌集「一握の砂」より有名な短歌代表作品ですね。
今回は、我が娘です。
伊勢湾の白子の磯の白砂にわれ疲れ果てて吾子とたはむる BY しょうえ
短歌ならそんな雰囲気です。(笑)
子供は元気です。
砂浜を駆け回っています。
♪ 疲れを知らない子供のように 時が二人を追い越してゆく 呼び戻すことができるなら 僕は何を惜しむだろう~
昭和の名曲、布施明さんの『シクラメンのかほり』(作詞作曲 小椋佳)です。
私の年を考えると、娘との時間は、他の方よりは少ないでしょう。
貴重な時間です。
ありがたいですね。
一応、釣り人も居られますので、私達家族3人も、釣り糸を垂らしてみました。
海も空も青いです。
家の近くに海がないものとしては、憧れる風景です。
でも、台風とかになったら、大変な風景になるんでしょうね。
自然の驚異を感じます。
この日は穏やかでした。
釣果は、坊主でしたね。(残念です)
って言うか、本気で釣る気持ちが無かったからですね。
少しだけの時間しか予定していなかったので、気分だけでも、楽しめましたよ。
すぐさま撤収した次第です。
禅の世界で、ぼうずで、ちょうかと言えば、鳥窠禅師 (ちょうかぜんじ)、鳥窠和尚ですね。
鳥窠道林と言う唐時代の杭州の秦望山の中に住する高僧です。
そこに、杭州の刺史(知事)になっていた白居易(白楽天)が逢いにやって来ます。
それも忙しい最中、時間を作って、わざわざやって来たのです。
熱心な仏教徒だった白居易(白楽天)が高僧の鳥窠道林に、「仏法の大意」を尋ねます。
すると、返って来た答えが有名な「諸悪莫作 衆善奉行(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう)」(悪いことをするな 善いことをせよ)でした。
きっと高名な高僧だから、もっと高尚なお話が聞けると思っていたのに、当てが外れた白居易は、言い返します。
「いやそんなことは、分かり切ったことで、三歳の子供でも言える」とね。
すると、
「三歳の童子もこれを知ると言えども、八十歳の老翁もなお行じがたし」と、鳥窠道林和尚は、いい放ちます。
仏教の玄旨などと言っても、別に高遠な所にあるのでなく、近くにあるはずです。
つまり、「道は近きにあり」ですね。
分かり切ったことをあたり前にやるのが、難しいからですね。
何故難しいのか、私ども人の心が、煩悩妄想に錆で覆われて、小賢しい理屈道理や取捨分別の垢で汚され、本来の清浄さ・明朗さを失っているからだそうです。(芳賀幸四郎氏による解説)
この言葉に、超インテリの白居易(白楽天)は多くを学んだと聞きます。
この逸話が、京都三代祭りの祇園祭の白楽天山になっています。
白楽天山の山の上の御神体は、この鳥窠道林禅師と唐の詩人の白楽天です。
深い話です。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。