''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家のスィーツ物語  文明堂の三笠山 より。

甘いモノの頂きモノがありました。
食べ応えのある文明堂の三笠山 です。
もちろん、テーマは、奈良の「三笠山」ですね。


俗に、この方の和菓子は、関西では「三笠饅頭」と呼ばれます。
テレビのアニメのドラえもんの影響で、「どら焼き」と呼ばれるものと同じような和菓子だと認識しています。


名前が、どら焼きだと言っても、形の違うモノもあります。
京都の東寺近くのあの有名な和菓子屋さんどら焼きは、少し形が違います。
いつ行っても、買えるわけではありません。
特定の日だけの限定販売になっています。


とは言え、ドラと言えば、寺院で使われると言うか、船の別れの涙を誘う楽器のドラをイメージされる方も居られます。
形がドラの形になっているので、どら焼きなんでしょう。

 

こちらは、文明堂の三笠山 です。
香りもよく、ふんわりして美味いですね。
奈良の三笠山をイメージされた菓子だと認識しております。
三笠山と言えば、この和歌を思い出します。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出(い)でし月かも

有名な安倍仲麿(阿倍仲麻呂)の和歌ですね。
若くして、遣唐使として中国の唐へ渡った留学生の一人であり、時の玄宗皇帝に気に入られ、唐名「朝衡/晁衡(ちょうこう)」として、50年以上も唐の皇帝に仕えたと言います。
一度、帰国を許されましたが、船が難破して、日本に結局帰れぬままに、唐で没します。
当時の大詩人である李白や王維とも、深く親交があったとも聞きますね。


故郷とはそうしたものかもしれません。
室生犀星の「小景異情」にも出来ます。
ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの~


私も郷里を離れて、はや38年位です。
何度か帰省はするモノ、短時間でとんぼ返りをして来ました。
すでに父は他界して、母が残るだけです。
感慨深いです。


私に娘が授かってから、年に数回帰省ますが、それまでは10年に1度くらいです。
ただ、父母とは、神戸の三ノ宮とか、丹波篠山とかで、会って家族会をしていました。
京都に来て、我が家の伏見の長屋に泊ったことも数度ありましたね。
関係は、良好でしたけどね。
いろいろと、どの家にも問題がありますよ。


すでに、故郷と言えば、私の中では、播州でなく、京都の伏見です。
28年ほど住んでいました。
もちろん、ずっと独り暮らしでしたが、私の性分に合っていたように思います。


独身は独身で楽しいです。
寂しくはないんですよ。
でも、嫁と暮らし始めて、娘が授かって、家族で暮らし始めると、元の暮らしには戻れませんね。


特に、子供の居ない暮らしは、考えられません。
観音様のお蔭で、人並みに、親にもなれたのは、至福です。
子育ては、大変です。
それでも、自分を犠牲にしてるとは思いませんからね。


私の年にして、小学校の2年生の娘と、手を繋いで散歩するのは、社会の現実ではありえませんからね。
それこそ、犯罪ですからね。
ありがたいことです。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。              
ありがたいことです。            
            
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。              
ありがたいことです。              
              
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。              
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。              
ありがたいと感謝です。              
              
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