先日は、丈母の命日でした。
25年経ったと聞きます。
朝から何やら作っている嫁の姿です。
それは何かと尋ねたら、どら焼きだと言いました。
それも、抹茶のどら焼きです。
焼くのは、嫁愛用のモービル(Mauviel)のフライパン です。
8cmほど小さな銅製のフライパンです。
どら焼きやホットケーキを焼くのに、便利なサイズです。
及源 南部鉄器 玉子焼きのフライパンなら、2つは余裕で買える高価品です。
貧家では、到底買えませんが、嫁の愛蔵品です。
中に餡を挟んでいます。
5歳児のゆうゆうには、生クリームを挟んでモノを用意しています。
写真を見て、もしかして、そう思われる方も居られます。
当たりです。
象彦の菓子皿です。
嫁愛蔵の象彦の竹皿です。
金箔の部分には、鶴がモチーフになっています。
お隣近くでは、あの有名な会社の社長だった方のお宅ですね。
当時は、一部の方しか知らなかった、そちらの組合の方でも、有名です。
私も、27年ほど前に、その情報を聞いて、「えー?」って驚いたのを覚えています。
今は昔の話です。
嫁の象彦のコレクションも、少しは増えましたね。
嫁のコレクションの中で、私もイイと思うのは、ノリタケですね。
古いオールドノリタケもいいですよね。
たまには、嫁の愛蔵品から借りることもあります。
基本、私の持ち物から使うことが多いです。
いつもの安物ばかりですが、愛用品に違いありません。
金銭の多寡の問題ではありません。
禅語の「漁夫生涯竹一竿」と言えば恰好がいいかもです。
そうそう道元門下では、「学問の人は須らく貧を学ぶべし」を繰り返し解いていると言うが、この貧を漢詩句で表せば、「山僧・漁夫」だと、我愛読書「禅語の茶軸 一行物」羽賀幸四郎の引用にすぎない。
「料夫生涯庖一丁」と嘯けば、心も安らぐと言うモノだね。
だが、その貧は、物質的な貧であって、精神的な貧ではない。
自分の分を知り、多くを求めず、心の安穏を求めたいと言えるかもしれません。
ハズレのどら息子(娘婿)ですが、岳父丈母に恥じることないように、家族3人でささやかな暮らさせて貰っています。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。