''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

土筆を見っけた、食するなり。

仕事場へ行く途中に、土筆が生えているのが、見えていました。
時間がないので、いつも素通りです。
少し早い目に出て時間を作りました。
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早速土筆を袋に集めます。
土手あたりに生えています。
春を感じる土筆の姿です。

 

子供の頃、袋いっぱいにして土手で土筆を採りましたね。
そして、土筆の袴(はかま)を取ります。
これに手間がかかります。
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その上、この掃除をすると、採って来た土筆の袋は2/3程度になります。
食べられないところも一緒に掃除します。
苦労して、炒めて調理するとなると、採って来た10分の1程度の量になり、大きなお皿一枚に納まります。

 

胞子の詰まった頭が、何とも苦味があってたまりません。
この時期だけのごはんのご馳走です。
字の通り、あちらこちらを走り回って集めたご馳走です。
私の好物です。
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私は、土筆の油炒めが大好きです。
見た目は良くないですが、一味唐辛子を振ります。
イチラーですからね。

 

当たりめを食べるように、マヨネーズと一味も合うかも知れません。
私は定番の紫(醤油)を指します。

 

上品に、料理屋さんなんかでは、食べるより盛付として用います。
味なんかしません。
見た目が、土筆と分かれば、客は喜びます。

 

箱に入って大変高価食材になります。
京都の台所・錦市場で買って、私のように調理したら、お店じゃ一皿4~5千円は貰わないと採算に合いませんね。
ほどんどの方が、土筆を食べたことがないと言われます。

 

土筆煮て 飯くふ夜の台所   正岡子規

 

俳人子規も、やはりお好きなようですね。
こちらは、炒めでなく、煮物かお浸しのようですね。
それでも、俳句にするくらいですから、季節を感じるご馳走だということになりますね。

 

子規の妹が、土筆の袴掃除をしたのか、もしかしたら子規も一緒なって、土筆の掃除をしたと考えると、感慨深いです。

 

平成の世になっても、同じように、季節の味を楽しみます。
しかし、味には変化があります。
すこし、筋張って硬いのです。
多分、野焼きをしていないせいです。

 

子供の頃、土手の野焼きは定番でした。
土手の土が焼かれ、灰となり、それを養分にして、土筆が生えてきます。
土手の土も焼かれることで、雑菌が除菌されて、いい菌だけが、生き残ります。
雑草もたくましく育ちます。

 

蓬(よもぎ)も香りも色ももっと濃い色合いでした。
土筆も土の養分が足りていません。
子供の頃、野焼き後の一面から、土筆のじゅうたんのような生えていましたね。
黄色い菜の葉が咲き、土筆が生え、蓬(よもぎ)が緑をなし、タンポポの花も咲く、それが日常でした。

 

子供の頃の原風景です。
土手に立った時の、風の感じ、空気の匂い、春の萌黄の感覚です。
春を体、五感のすべてで感じることが出来ました。
食することも季節を感じることです。

 

四季ある住する喜びを感じていました。
今でも、それを体が求めます。
魂が求めます。

 

野に出でて 土筆とりとり 飯の友  by かんとうしょうえ

 

こんなの一句作ってみました。
(「こんなの出ました」懐かしの占い師さんです)

 

今あることに感謝して、生かされていることに感謝する。
食することに感謝して、酒呑めることに感謝する。

 

ありがたいですね。

 

今日も平穏無事に過ごせますように、手を合わせます。

 

最後まで、土筆の食する話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。