''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大阪城公園、一杯のうどんの物語より。

今日は、雨模様ですね。
珍しくカレンダー通りの連休です。
仕事で、木曜日の晩から、膝を痛めて、土曜日には歩行困難な程の痛みを覚えて、大人しくしていた連休です。

 

こんな日もあります。
東北の事を思うと、雨露凌いで布団で寝られます。
これ以上の幸せは、ありません。
足を伸ばして、一日ゆっくり過ごさせてもらった訳ですからね。

 

暑さ寒さも彼岸まで、というように、先週の雪の寒さを思うと、嘘のように温かいです。
このまま、春が来ればいいのですがね。
とりあえず、私は休息します。

 

朝から、朝風呂です。
極楽です。
こんな貧家にも、ささやかな極楽があるんです。

 

日常の中にこそ、本当の幸せがあると確信しています。
ささやかながら、傷めた膝と首を温めます。
悪くさせないようにと、気を使います。

 

そう言えば、先週の日曜日は、大阪城公園で梅を楽しみました。
そのまま、大阪城を一周です。

 

そんな途中に、幾つかの売店があります。
大阪城売店は、焼きそばやフランクフルト、温かいうどんやそばが用意されています。
もちろん、シュワシュワのビール、お酒も売られています。

 

今から15年ほど前に仕事で、昼休みを大阪城辺りで過ごしたことがあります。
役所周りをしていたので、昼休みは仕事が出来ません。
そんな時、大阪城の大手門辺りまで歩いてきて、お城に入る入り口辺りで、昼餉のうどんを食しました。
何ともうまかった記憶です。

 

飛びぬけて、具も何も入っていないうどんです。
確か、天かすとネギのシンプルなうどんです。
それを今回思い出しました。
イメージ 1

今回は、森之宮から近いところの売店です。
やっばり、天かすとネギのシンプルなものです。
一人食します。
「ひっぱり、なぁー」って、落語「時うどん」的な一人芝居です。

 

同行カメラマンもあきれています。
「食べる?」
「要らない」

 

関西では、たぬきうどんやら、ハイカラうどんとも呼びます。
天かすが入るだけで、その風合いは天婦羅うどんです。
もちろん、イチラーですから、一味もフリフリです。

 

たぬきと言えば、揚げの入ったそばを意味することもあります。
京都では、あんかけうどんに生姜の乗ったタイプをたぬきということもあります。
天かすが入ってるとまるで天婦羅うどんのように、化かされているいう意味かも知れませんね。

 

私の播州では、やはりハイカラうどんと呼びます。
どの辺がハイカラなのか知れませんが、大抵はカウンターにどんぶりに置いてあって、入れ放題の無料品です。

 

天婦羅のかす、つまり廃棄物です。
それを入れることによって、かすとは言いながら、ハイカラな味として楽しめます。
これもお得な気分です。
そういう意味では、化かされた「たぬき」と言えますよね。

 

たぬきと言えば、私には「たぬき汁」ですね。
えーっと言わないで下さい。
本当のたぬきの肉を入れるたぬき汁でなく、コンニャクを入れる方のたぬき汁です。
かす汁にも、コンニャクは入れますし、トン汁にも入れる美味いです。

 

江戸時代、五代将軍吉綱公時代にも、同じように間違われた方がいましたね。
大僧正の隆光です。
僧・隆光と言えば、綱吉及び綱吉の生母桂昌院の寵を受け、生類憐みの令を発令することを勧めたされる悪役です。

 

しかし、お振れが出された時、その時期に隆光がまだ江戸にいなかったことから、現在では否定されているとの見解もあるようです。
歴史では、悪人的な扱いの僧侶として、覚えています。

 

この隆光も寒い時分、お城で食事時、何か食されたいものと希望を出された時、「たぬき汁」と申すと、「えぇー」と驚かれ、生類憐みの令をあるのを盾に断られたとの逸話を、池波正太郎関係の書物で読んだ記憶がありますね。
少し調べると、『池波正太郎鬼平料理帳』(佐藤隆介編) 冬「狸汁」、作品は『丹波下屋敷』でした。

 

知らないと、本物のたぬきだと思いますよね。
でも、本当のたぬきを使ったたぬき汁と言うのもあると聞きます。
多分匂いが強いと思いますよね。
熊もそう(僧)ですね。(今日は、ここしか笑うところありませんよ。ねぇー、とおるちゃん!!)

 

それでも中華料理で、熊の手というと高級料理ですからね。
料理と言えば、きつね色と言うのはよくいう表現です。
しかし、たぬき色と言うと、色が付きすぎて失敗の表現です。
きつねもたぬきも、化かすと言う意味では、指して区別はないかも知れません。

 

化かすとは、だまされると言う意味ですよね。
何かダメなイメージですか、騙すより騙された方が幸せかもしれません。
仏法では、方便と言う言葉をよく使います。

 

「嘘も方便」の方便です。
仏教で、悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことであると説明されます。
サンスクリット語の「upaya ウパーヤ」と言うのが語源です。

 

疲れた切った旅人に、あそこに城があるあの城で、一休してからまた進もうと、導師が進めます。
それが、神通力で作った仮の城であったと言うことも、仏法の世界ではあります。

 

この国の国難、多くの人が災害に遭われ、難儀しているという事態に、嘆いてもしかたないです。
一日も早い被災者の日常の生活に戻れるように、国として出来るだけのことをしてもらいたいです。
どうか、方便でもいいから、精神の安定に繋がるような、前向きの旗振りをしてもらいたいです。

 

この一杯うどんのように、天かすがあろうが無かろうが、温かいうどんは元気を与えてくれます。
お釈迦様が、乳粥で元気を出されたようにです。

 

届けることは出来ません。
具は入っていない一杯のうどんの写真だけでも、温かいとイメージして下されば、それも十分方便です。

 

一人でも多くの方が救われることを祈ります。

 

今日も一日、私も世の中も、関西も東北も、平穏無事でありますように、祈るばかりです。

 

最後まで、たぬきいえいえ、手抜きの素の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。