''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

てっちり気分の土曜の遅い昼餉 より。

朝からやはり寒いです。
ひんやりとした朝の冷たい空気で目が覚めました。
昨日は、機嫌のいい一日でした。

 

昼ごはんを食べる約束がありました。
何やら昼から鍋にしようと画策していました。
もちろん、この時期の関西の花形鍋と言えば、てっちりです。

 

てっちりとは、関西でいう「ふぐ」の事です。
たまに当たるとか、球に当たると死ぬとか、冗談混じりの言葉です。
てっちりとは、「またに当たりまっせ」という意味と言うのは、今は亡き吉朝さんの十八番の「ふぐ鍋」での、くすぐりです。

 

ここで、お客が笑う。
てっぱんのネタふりです。
てっちりを食べるとなると、いつもこの吉朝さんの落語「ふぐ鍋」が思い出されます。
貧家としては、外で食べるのでなく、ゆっくり我が家で頂きます。

 

ふぐは、相方の差し入れです。
何でも、ここ数週間でのスマートフォン探しに付き合ったくれたお礼のようです。
「苦しゅうない。良きに計らえ。大儀であった」

 

でも、ここで主従の関係は逆転です。
鍋の用意は、料理番の私が致します。
すでに、カット野菜が用意してあります。
豆腐も用意してあります。
後ぞうすいの用意もあります。

 

あとは、メインのふぐさんだけでした。
ふぐとは、漢字で書けば、河豚です。
ぶうぶうと豚のような鳴き声を発するところから、この字が充てられています。

 

河でなく、海がつけば、漢字で海豚と書けば、イルカですよね。
確かに鳴き声が特徴です。
こんな知識も、書物から学びました。
愛読書の劇画のマンガ『ザ・シェフ』です。
難しい仏教書から、マンガまで何でも学びます。

 

がんこの1,980円フェアーも魅力的ですが、我が家の家呑みなら、もっと安いです。
それに、時間を気にしなくてもいいです。
和室に、こたつを据えて、その上でカセットコンロを用意して、鍋を置きます。

 

この鉄鍋が曲者です。
相方からの差し入れの中にありました。
鍋もいっしょに差し入れです。
京都のH場製作所の株主総会で、シャンシャン総会にすべく、頂いた良品の鍋です。
これが大変便利です。

 

家では使わないと、新品を貧家にご持参です。
ありがたいことに存じ奉ります。
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ふぐは、和歌山産の国産の生のみがきのふぐです。
パックにずっしり入って、1,980円の特売品ようです。
これは、凄いです。

 

この価格なら、てっちりも手軽に出来ます。
予算は、3000円以内を予想していましたが、これほどまでに手軽なものを手に入れるとは、なかなかやりくり上手です。
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量もがんこのふぐフェアーの1.5~2倍近くあります。
これはありがたいです。
ふぐが、たらふく食べれます。

 

鍋にしてもたっぷりです。
豆腐も一人4切は頂けます。
ふぐの旨みをすった白菜や豆腐が、美味いです。
マロニー入れるのを忘れました。

 

ガラ入りにも、ガラがたっぷりです。
これは大変お得なてっちりです。
ポン酢も少しいいのを使いましたので、味は格別です。
やはり、てっちりは、鍋の中の王者です。

 

相撲なら、東の横綱ですよ。
これに対応できる横綱と言えば、私の中では、雑炊も含めて、丸鍋こと、すっぽん鍋ですね。
あれも美味いです。
ただ、家で食べるのは、少し無理があります。

 

家なら、間違いなく、てっちりです。
関東なら、アンコウと言う手もあります。
悪くはないです。
少し匂いがに気なります。
雑味があるという点では、ふぐさんチームに軍配が上がります。

 

昭和の懐かしいお昼の番組『家族そろって歌合戦』なら、ふぐさんチームが、駒を進めます。
懐かしい昭和の番組です。
獅子てんや・瀬戸わんさんが司会の視聴者参加歌番組ですよね。
確か、パロマのスポンサーでしたね。

 

家族がまだ食卓を囲んでいた時代のよき時代だったと思います。
でも、この日は、和室にこたつで、カセットコンロに、てっちりです。
うーん、昭和の感じです。

 

もちろん、お酒は、ふぐのヒレです。
香ばしいヒレの香りがします。
うーん、美味いです。
たっぷりと継酒も用意していました。

 

久しぶりに上機嫌で酔っ払いました。
でも、〆の雑炊は、忘れません。
卵をとじて、半熟にしています。
雑炊も、てっちりの楽しみの一つです。
美味いです。

 

もちろん、鍋は二人して食べきって空です。
この日は、空について論じません。
空仮中の三諦(さんたい)、天台宗の実相の真理を明かすものとして考えられた空・仮(け)・中の三つの真理です。

 

でも、難しいことを言わず、てっちりの鍋が「空」になったのは、それは美味かったからです。
少し前までは、鍋にたっぷりあった中身が、二人して食べきって、空になった。
今の鍋は、空です。
鍋の中物有無は、あくまで、仮の姿です。
現世にあるのも、人の仮の姿です。

 

てっちり鍋を食う(空)して、仏の世界を鑑みるのも、悪くはありません。
すべては、食することの意味を考えてみます。
人は食わずして生きていけません。
まして、それを美味いの不味いのと、感想を論じます。
悲しい人の業(ごう)ですね。

 

人は、生きているわけではありません。
何かの力で、生かされています。
私の場合は、仏様です。
そこにありがたいと感謝の気持ちが添えられます。

 

昨日、てっちりを食べられたことは、この上もなく幸せでした。
今あることに、今あるこの幸せの瞬間が、しっかと感じ取りたいです。
日々の暮らしにこうした幸せがあるんです。
ありがたいです。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、たまに美味しい幸せに当たった話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。