先日、海苔巻きを作った時に、余った鰻が冷蔵庫にありました。
残り物には、福があると言えば、気持ちが楽しくなります。
いつものように、冷蔵庫と相談です。
卵のストックもあるとなると、こりゃあれです。
「う巻き」です。
我が家の4歳児ゆうゆうは、出汁巻きが大好きです。
玉子焼きも大好きです。
関東煮(おでん)でも、玉子が大好物です。
そんな理由で、ゆうゆうの大好物の「う巻き」を作りました。
芯に巻いたのが、「うなぎ」です。
出汁巻きの中に鰻が入ると、こんな味になるんだと言わんばかりに、出汁巻きと鰻の調和がいいです。
若い頃、うなぎ屋でバイトしていましたので、鰻に少し思い入れがあります。
いい思い出より辛い思い出です。
生の鰻に竹串を打つ作業が、一番辛かったですね。
金串なら、それほど難しくないと思いますが、竹串はめちゃくちゃ難しいです。
竹串が指に刺さるのは、驚くほど痛いです。
辛い思い出でしかありませんが、料理の手順は、今でも使っています。
一番会得したのは、「うざく」です。
鰻の酢のものですね。
その胡瓜のカットは、その店では、蛇腹胡瓜にしていたことです。
ここの蛇腹に下処理した胡瓜を、食べよい一口サイズに、カットして鰻と合わせ酢と盛り合わせます。
添えは、茗荷の甘酢和えしたものです。
天に刻んだ針生姜を添えます。
これは、ちっょとした時に作って出すと、喜ばれます。
蛇腹の胡瓜を知らない方は、胡瓜が切れてないと言います。
長州小力ではないんです。
合わせの酢がよく馴染みます。
スライスした胡瓜の酢のものより、器に盛り付けた時に、品がいいです。
鰻も口の中で、和えの酢の味付けを邪魔しません。
いろんな料理の仕事があるんだと思っています。
胡瓜と言えば、もろきゅうのカットも、いろいろとテクが使えます。
胡瓜のカットも奥が深いです。
造りの船盛の添えに、胡瓜の竹を添えると、華やかに感じます。
職人さんの胡瓜のカットには、芸術的なものも多いです。
料理屋の調理場でも、「兄さん、兄さん」と心安くなると、いろいろな技を見せてくれます。
一番驚いたのは、人参の蝶です。
平らな蝶は見たことがあっても、羽を広げた立体的な蝶は、料理に止まっているかのようです。
鍋物の野菜盛の上に、蝶を止まられると、一気に芸術作品になります。
和食の料理の世界は、大変奥が深いですね。
そうそう、「う巻き」が出てくる落語の話がありましたよね。
落語『鴻池の犬』でしたね。
捨て犬の黒犬が、鴻池家に貰われて、後に捨て犬の兄弟が再会すれ話です。
そうそう「来い来い来い……」と声がする方へ、鴻池の黒犬が行って戻ると、鯛の焼き物、う巻きなどを貰って分けてくれます。
犬とは言え、人情噺には、ウルウル来ます。
これは、枝雀さんの落語が、私の中では一番好きかもしれません。
犬でさえ、こんなに兄弟の情が細やかです。
それが人間なら、違うことが多いです。
世間では、俗に「兄弟は他人の始まり」とも言いますね。
私の事で言うなら、私も兄弟の縁は、薄いです。
仲良くないですね。
いろいろとありましたからね。
言葉に出来ない程の問題があったわけですよ。
ただ、郷里の父母とも、時折会いますし、孫娘のゆうゆうと一緒に家族旅行にも行きますので、こちらは上手くいっています。
兄嫁とも、上手くいています。
そう聞けば、事情の察しは付くことでしょう。
そんな複雑な関係です。
私は、修復を望んでいるわけではありませんし、多分このままの関係が終焉まで続くと推測しています。
人生いろいろありますね。
望むことはいろいろありますが、トラブルの匂いがする以上、触らぬ神に祟りなしと言います。
私は、家族が私の思う家族が大事ですからね。
トラブルに関わらず、穏やかに過ごしたいです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。