毎週日曜日、毎日新聞の日曜くらぶの紙面で楽しみにしているのが、島谷弘幸氏の「書の美」です。
今日は、 堺色紙「わたつみの」 伝藤原公任筆 平安時代 大阪 逸翁美術館蔵です。
薄色紙の染め紙に、銀泥で、蝶、鳥、秋草などの下絵を描いた紙料に古今和歌集の巻第七・雑歌に収納された344番の和歌です。
紙面では、「わたつみのはまの/まさごをかずへ/つゝ/君がへむよの/有かずに/せむ」と解説されています
わたつうみの浜の真砂をかぞへつつ君がちとせのあり数にせむ よみ人知らず
意味
大海の浜辺の砂を数えながら、その砂の一粒一粒の数をあなた様が限りなく、重ねていく年齢といたしましょう。
『古今和歌集』歌番号344(巻七・賀歌)。
詞書は、「題知らず」とされているようですね。
「浜の真砂」とは、数が多いことを例える言葉のようです。
「あり数」とは、「この世に存在している年数」、つまり「人の年齢」のことのようです。
そういえば、4年前の今日、娘が我が家に帰って来てくれました。
800グラム未満でこの世に命を授かって、NICU、GCUを3ヶ月以上過ごして、やっと我が家に帰って来てくれた記念日です。
ありがたいことです。
我が娘は、運よく病院の外に出て、外界の空気を吸うことが出来ました。
そして、自分の家に帰ってくれたです。
運悪く、病院の外に出ることもなく、この世を去った子供居るはずです。
その境界線に、我が娘も居たかと思うと、今日の日迎えられたことに、感慨深いです。
神仏のご加護であることは、間違いありません。
特に観音様のご加護はあったことは、生まれた娘の身長が、観音様のご縁の数字の33センチであったことを思えば、天の証明に他なりません。
そして、4年の時間を過ぎて、「あり数」の実数の年齢になったのです。
ありがたいことです。
昨日保育園の催し物がありました。
娘の成長を、夫婦二人して見に行きましたよ。
センター位置に立っても、物おじしないのは、立派でした。
その帰り、ご近所のよくしてもらっているおじさんに頂き物をしました。
自然薯ですね。
何本か頂きましたが、早速この日に、頂きましたよ。
食べ方は、泥と土をきれいに取り除いて、皮を取り除いて、摺り下ろしました。
そこに、濃い目の出汁を作って、少しずつ混ぜ合わして、とろろに仕上げました。
とろろと言えば、麦飯と言うことになりましたが、この日は普通の白いごはんにとろろを掛けて、とろろごはんにしました。
自然薯ですから、香りもいいですし、舌触りもいいです。
もちろん、のど越しもいいです。
色味に青のりをフリフリしましたよ。
私の父がとろろが好きでしたので、私も作り方と食べ方は知っていました。
初物は、寿命が延びると聞きますので、もう少し娘のためにも、長生きが必要です。
50過ぎた中年オヤジに、精を付けても詮無いだけかもしれません。
気持ちだけは、まだまだ若いもんには負けないと、口だけの抵抗です。
人生山あり谷ありと言いますが、そうかもしれません。
人生悪い時もありますが、いい時もあります。
毎年、この日がやってこれたと振り返れるのは、何よりありがたいです。
今思えば、あの苦しい時があったからこそ、今のささやかな幸せを感じられます。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。