昼間はそれほどでもないのに、朝晩の冷えますね。
まだ、12月前にして、そんなことを言うのは早いかもしれません。
我が家では、すでにコタツを用意しました。
寒い時には、電気を点けています。
私は、子供の頃からコタツ派です。
小学生4年ぐらいから、マイコタツを持っていました。
冬場は、そこで宿題したりしていましたね。
もちろん、家の居間には、別の大きなコタツがありました。
まるでカメさんのように、コタツに体を入れたままで、くつろいでいました。
ですから、大人になっても、コタツの暮らしは好きです。
冬の夜に、晩酌するのも、コタツでは情緒がありますからね。
英語で、晩酌に対する対する言葉がないとも聞きます。
お酒を呑む、これも、英語のドリンクではありません。
八代亜紀さんの歌う名曲『舟唄』(阿久悠 作詞、浜圭介作曲)のテレビCMの英語バージョンの歌詞の中で、♪しみじみとリンキング しみじみドリンキング オンリーメモリー ゴーンバイ~
あれは、訳詞としては、何か意図して作られたものですからね。
ドリンクは、呑むでなく、飲むでしょう。
日本語の語彙の豊富さと言うのは、情緒があると思います。
大人になってから、大晦日でも、映画でも見ながら、熱燗の日本酒を吞んでいたのを思い出します。
子供の頃は、古い日本の映画とかもやっていましたね。
最近は、時代劇も少なくなって来たがします。
それとは、別に時代劇に特化して、殺陣のシーンも動くが早くて、非現実的な戦闘シーンが売りの映画もありますからね。
昔懐かしいゆっくりとした時代劇もいいですよ。
昔は、師走に入ると必ず「忠臣蔵」が定番だった気がします。
そんなことも昭和の話になってしまいました。
古い赤穂浪士と言う莫れ、AKO47とすれば、少し前のAKB48にも通じるものでしょう。
あえて、47番は使わなかったのも、秋元氏の策略だと思います。
忠臣蔵で、坂と言えば、「南部坂」です。
乃木坂、欅坂と坂を、この定番に繋げて来られました。
忠臣蔵では、「南部坂雪の別れ」と言えば、浪曲講談など、討ち入り前の話です。
時は元禄十五年(1702年)12月14日、吉良邸討ち入りを翌日深夜未明に控えた日の話です。
大石内蔵助は、雪の降る中、赤坂の南部坂上にある三次浅野家下屋敷(現では赤坂氷川公園辺り)を訪れます。
この下屋敷に、亡主・浅野内匠頭の未亡人・瑶泉院(ようぜいいん)の実家であり、ここで夫の冥福を毎日を送って過ごしています。
そこに「西国に仕官が適ったと暇乞いにやって来ます」と挨拶にやって来る。
経費の清算の報告も兼ねています。
同時に、密する証拠も携えて、吉良家討ち入りを秘密裏に知らせます。
ここは涙をそそりますよ。
そんないい涙も、話は嘘が定番ですからね。
そもそもこの時南部坂に、三次浅野家の下屋敷はありません。
「南部坂雪の別れ」は、明治時代の浪曲師の梅中軒雲右衛門が脚色し大人気になったお話と聞きます。
本当は、三次浅野家の屋敷が今井町にあったので、本来なら「今井町雪の別れ」となったはずです。
南部坂と言うのが、音が良かったからでしょう。
とは言え、寒い夜の晩酌タイムと言うと、先日嫁と娘は歯医者に行っていたので、この日は1人の夕飯です。
それじゃと鍋焼きうどんを作りました。
即席の焼うどんとなれば、いつものように冷蔵庫と相談しないといけません。
1人用の土鍋に、つくね、肉団子、白菜、シメジ、揚げさん、玉子、餅、そしてメインのうどんです。
即席にしては、満足です。
やはり、土鍋はいいですね。
子供の頃、鍋焼うどんと言えば、金属製の鍋が多かったと記憶しています。
土鍋もありましたが、金属製の鍋のイメージが強いです。
真ん中に玉子が割ってありましたね。
鶏肉、海老の天ぷら、蒲鉾、お麩など地域によってもいろいろありますね。
私の中では、鶏肉でしょうね。
ある意味、茶碗蒸しと似ているというイメージがありました。
母の作るものなので、自分のやり易いものが多かったと思います。
母の茶碗蒸しも、時にうどんが中に入ってることがありました。
播州に地域によっては、ゆり根、銀杏、鶏肉、海老などが入りましたね。
そんなイメージと、鍋焼うどんの具沢山のイメージが少し重なります。
それが子供でなく、大人になれば、横にあるのは、燗の酒と発泡酒です。
ささやかな幸せです。
食べ始めて、30分ほどすれば、嫁と娘が歯医者から戻って来ました。
嫁に聞けば、土鍋も他にもあるとの事、たまには家族3人で鍋焼うどんも、寒い夜にはご馳走になりそうです。
6歳の娘は、未だ鍋焼きうどんの味をしりません。
って言うか、熱々のうどんは少し冷まさないと食べません。
羹に懲りて膾を吹くの例えを、嫌と言うほど実感しています。
寒い夜、温かいモノは、ご馳走です。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。