GWの最中、整骨院の帰りに、家族3人でスーパーに買出しに行くと、突然今夜の夕飯に茶碗蒸しが食べたくなったと嫁の発言です。
玉子を見てそう思ったのか、何からイメージしたのかは不明ですが、茶碗蒸しの夕飯のメニューなった。
家の蒸し器で、茶碗蒸しをしてくれますので、なかなか上手に出来るものと、いつもの関心です。
和食の料理屋さんでも、茶碗蒸しはあります。
セットメニューに茶碗蒸し付けることがあります。
寒い時も多いし、暑い時でも冷たい茶碗蒸しを出すこともあります。
時に、銀餡が掛けてあったりと、いろいろな工夫でより美味しくもなります。
我が家の茶碗蒸しも、蒸し器から出したら、熱々です。
もちろん、ブロガーのサガととしては、写真を撮ります。
彩に、三つ葉でもあれば、色合いが華やかになります。
とは言え、出汁の効いた茶碗蒸しは、ご馳走です。
少し雨が降ってから気温が下がりました。
GWの後半戦には、立夏の頃には、気温が上ると天気予報です。
気分の浮き沈みした茶碗蒸しの図です。
なにか、あのテレビCMのある時、ない時みたい な2枚の対比した写真です。
同時間に撮影したのに、ストロボ点けたかどうかのささやかな違いだけです。
写真のそれほど意味はありません。
禅語の中に「逢茶喫茶 逢飯喫飯」(茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す)と言うのがありますが、まさにある時ない時みたいですね。
あればあるで楽しんだらいいし、なければないで次を楽しめばいいだけです。
物事に固執することはありません。
そうでありたいと思っています。
物事に固執すれば、いろいろな雑念が生じます。
目の前にある幸せを噛み締めることも必要だと思っています。
ささやかな暮らしの中でも、見えて来る「よかった」はあります。
日々の暮らしの中で、「よかった探し」をしています。
ありがたいことです。
子供の居る暮らしは、幸せです。
一度味わえば、居なく生活には戻れません。
独身時代には、感じない暮しかもしれません。
結婚しない気楽な独身暮らしも、幸せです。
子供のいない静かな暮らしも、幸せです。
何かに比べて、自分の幸せを確認するのでなく、今ある暮らしの中で、目線を下げたところにある自分の幸せを見つけられる暮らしは、幸せです。
出来るなら、人並みの暮らしの中にある人間らしい暮らしを味わえたらと思った時、50歳を前に結婚して、50歳で運よく娘を授かった。 (観音さんのお蔭です)
紆余曲折の人生ながら、GWなのに、これと言って人ごみの中に子供連れでどこかに行くこともなく、家でいろいろと家族の時間を味わって居ます。
よく言えばですが、普通に言うなら、どこにも行かずに、家でゴロゴロしています。
それでも、ささやかですが、幸せを感じています。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。