週末、台風到来の予感の最中、嫁と娘のゆうゆうは、読み聞かせの会に出掛けました。
コロナ禍で、活動が縮小していた会の様子を見に行ったのです。
参加者数人でしたが、会は存続していたようです。
そんな参加者にと、オシャレなパンを頂いて来ました。
代表の方が、習いに行かれていたのでしょうかね。
オシャレなケーキ箱に入っていました。
我が家の嫁のパンとは、少し違います。
こんなプロのようなパンを焼ける方が居ることに驚かされます。
長いパンは、ソーセージが入った少しスパイシーな個性が強いパンで、丸いのは品の良いさつま芋のパンでしたね。
どちらも、大変美味しゅう頂きました。
ありがたいことです。
お皿は、嫁愛用の「キャベンディッシュ」です。
ウッドの回し者ではありません。
ぶどうにパンに、活躍してくれます。
って言うか、一度使うと手に届くところに置かれているので、私が持つ出すだけです。
割れないかと、ヒヤヒヤしています。
ただ、食器も使って、そのモノの価値が生じます。
使わない食器は、持ちも悪くなりますからね。
まだまだ、普段使いしていない嫁の愛藏品もありますが、細かい手の入っているモノも多いので、壊れないかとヒヤヒヤします。
私愛用の蛤の和皿も、すでに割れてしまいました。
形あるモノは、壊れます。
でも、同じものが欲しいと見回っていますがないんですね。
値段の高価なモノがいいわけではありません。
私の場合には、使いやすさが一番です。
若い頃、料理屋さんで、仲番みたいなこともやっていましたので、いろいろな高価な和食器を触って行きましたが、一番難しいのは漆器ですね。
料理屋さんですから、使うので、洗います。
洗剤はご法度です。
お湯を使って布で洗います。
いい漆器をお持ちの店でしたので、すでに今では手に入らないものが多かったですね。
漆器のいい仕事を見ると、驚きばかりでしたね。
焼き物も、いろいろと見ましたが、自分で使いたいものは、少なかったですね。
赤楽の蓋付の作り皿なんか、見た目は立派ですが、使いにくい、洗いにくいです。
使ってこその食器も、洗いにくいのは最悪です。
最悪なモノは、結婚式祝宴での鶴の形をあしらった皿ですかね。
鶴の尖ったところが、折れます。
器の劣化にも寄りますが、上げ下げて折れますね。
洗いの時にも、箱にします時にも、折れやすいです。
結婚式の祝宴ですから、双鶴のモノが多いですからね。
鶴が二匹となれば、尖がった所も、単鶴よりも、多くなります。
嫌な記憶ばかりです。
鶴と言えば、落語の「つる」ですね。
歌丸さんの噺の記憶が強いです。
掛軸の絵の鶴について尋ねると、昔は「首長鳥」と呼んでいたと聞かされ、なぜその後「つる」と呼ぶようになったかを尋ねるところから始まります。
真実は、知りません。
とれあえず、その時から、雄と雌の一対で飛んできますので、結婚式には縁起物です。
鶴と亀は、縁起がいいと決まっています。
婚礼の歳にも、例の高砂人形の白髪の爺と婆様の一対の人形です。
老婆は、手に箒を持っています。
老翁は、手に熊手を持っています。
有名な所ですね。
熊手は、福や財をかき集め、箒は邪気を払うとも聞きます。
「お前百まで(掃くまで)、儂ゃ九十九まで(熊手)」と配置するのが、間違いません。
ダジャレです。
老夫婦は、「私達は、高砂と住吉の「相生の松」の精霊です。住之江で待っていますよ。」と言ったと聞きます。
高砂、相生、住吉と神様の繋がりも、今でも続いていますからね。
住吉大社への参詣も行ったことがありますよ。
立派な神社さんですからね。
神仏のご加護にすがりたいところです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。