先日のGWに奈良公園へ家族3人で行った記事を書きました。
続編です。
奈良公園には、いくつもの歌碑等があります。
私は、こうした歌碑を見るのを好きです。
もちろん、知らない方が多いので、調べて知識の泉とします。
會津八一って誰と思うのは、私も同じです。
書家と言う方の字を見るのは、好きなんです。
1881年(明治14年)8月1日に生まれたことから八一(やいち)と名付けられました。書家、歌人、美術史研究など、幅広い活動された方で、早稲田大学の名誉教授だった方のようです。
雅号 秋艸道人(しゅうそうどうじん)。
百聞は一見に如かずです。
「興福寺をおもふ」と題しています。
「 はるきぬと いまか もろびと ゆきかへり ほとけ の にわに はなさく らしも」
歌碑の横に鹿さんが座っています。
解説のブログを見ました。
意味は、春がやって来たと 今や多くの人が、興福寺の境内の庭を行き来して
そこには桜が咲いていることだろう だと思います。
桜咲いている春に来れば良かったかもしれません。
興福寺への思いが深く感じます。
明治の初めなら、廃仏毀釈で荒廃した興福寺だったのでしょうかね。
今では信じられない古都奈良の黒歴史かもしれません。
国宝級の仏像が、焚きつけの巻として売られていたとも聞いたことがあります。
何故、そんな仏教の廃絶があったのか、いろんな書物を読んでも、分かりません。
天皇家にも、御寺みたいに、仏教徒になって、天皇家の加護を受けていた寺院も多くあるはずです。
天皇家由来の墓地も、仏式のモノも多くあります。
そういう時代だと言うのは、簡単ながら、仏の世界の端に住する者としては、心苦しいです。
もともと、神仏習合として、仏と神は寺院にも共存するモノだったはずです。
それを分離するのも大変な労力が必要だったはずです。
民衆の力も理解も必要だったはずです。
まだまだ学ばないとイケないことも、いろいろとあります。
歌碑を調べること、書家や歴史史家を調べることで、私の知らないことが、多くあります。
まだまだ、少しでも書き記して行きたいところです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。