先日、家族3人していつもの激安シッョブに行きました。
最近では、7歳児ゆうゆうも、自分の自転車で移動しています。
親子3人で3台の自転車で、大移動です。
と言う事は、父は先頭、中にゆうゆう、殿(しんがり)に母です。
正直、まだ、怖いです。
子供の行動の予測は立てています。
でも、不測の事態があり得ます。
すでに小学2年生ですから、後ろのシートに乗せるにも、限界があります。
そんなこんなで、最近は買出しに行くにも、自転車3台の3人で向かいます。
いつもの激安ショップは、保育園の時から行き慣れていますので、我が家の庭的な感覚なんでしょう。
スマホのケーブル類も、いろいろと売らています。
お買い得な商品もあったりして、重宝することがあります。
USBメモリー等も、ここで激安品を購入することもあります。
携帯の扇風機もここで購入しました。
まぁ、いざという時に、遠方まで行かなくて、とりあえず、行ってみようかと言う感じです。
この日もいろいろと購入しました。
1000円以上購入すると、いろいろとおまけが付くことがあります。
この日は、感染防止の黒白の「フレナイン」です。
私が黒で、嫁が白です。
ちょっとタッチするのに、躊躇することもありますよね。
ドアとか、エレベーターのタッチスィッチとか、つり革とか、いろいろと気を付けています。
未だに、いろいろな病気が流行っています。
コロナ禍で、社会のシステムが変化して、より複雑化したことにより、更に深刻化している社会です。
若い方が、可愛そうですね。
大学生なら、授業も就職活動も、リモートの時代もあったし、大学に行って友達と会う機会も無かった方も居たはずです。
もちろん、恋愛事情もそうなります。
リモートにも限界があります。
まさか、リモートで、あんなことや、こんなこともできません。
人と人の距離感が希薄になって気もします。
更に晩婚化、少子化が加速しそうな気もしますね。
とは言え、男女の道は、違うのかもしれません。
黒白と言えば、池波正太郎の「剣客商売番外編 黒白」を思い出します。
若き日の秋山小兵衛の話です。
あの秋山小兵衛にして、若い時もあったと思うと、人も経験を重ねていくと、人の道もいろいろと見えて来るものかもしれません。
「ほっておきなさい」的な、結果をすぐに求めない曖昧さも、時に人生には必要です。
この達観した感覚は、白石一郎の『十時半睡事件帖』の 十時半睡の感覚にも近い感じます。
その場で問題を解決しようとせずに、放置して時間の流れを待つと言うような感覚です。
若い時分には、早く答えを出したがるものです。
20歳前に、工事のバイトをした時に、その場にいた年配の小父さんに同じような事を教わりました。
「若い者は、すぐにやってしまおうといるから、疲れる」
でも、「年寄や年配の者は、焦らずにポチポチやるから、何となく時間を過ごしていると、終わるんだ」と教わりました。
その言葉は、今でも肝に銘じています。
ある意味、確信を付いた言葉です。
体力的に有り余る若者が、すべてにおいて早いわけでない。
熟練したモノは、速さはないが無駄な動きがないので、ゆっくりしていると思っても、結果的な早く終わると言う事がありますね。
やはり、力任せは、ダメですね。
人の口には、戸は立てられないが、人のうわさも75日ですからね。
人の病も、日にち薬とも言います。
時間の流れが、解決してくれることも多いです。
禅の世界でも、「平常心是道」や「無事是貴人」など、「不作為」を意味する禅語もあります。
作為しないのは、何もしない事ではないですからね。
意図して、何もしないことですね。
あえて、作為しない。
簡単そうながら、意図してするのは、難しいですね。
一見すると意味不明ですが、
禅語の「無事是れ貴人」の言葉は、『臨済録』という禅の公案集にあるようです。
「無事是れ貴人なり。但だ造作すること莫れ、祇(た)だ是れ平常なり」
難しいが、要約すると、「あたり前のことをあたり前にやる事だ」と、愛読の書の芳賀幸四郎氏の解釈も受け取っています。
無事とは、「無事に家に着いた」の無事ではなく、無造作に自然法爾(ほうに)行ずる、それがここで言う「無事」の意味だと言う。
難しいですね。
人が生きて行く上で、固執して触れないん(フレナイン)生き方も、いいじゃありませんか。(笑)
黒白をはっきりしないさせない生き方も、これまたありです。
犯罪はダメですが、世の中には、グレーな世界も多いです。
ここしないとイケない、あーしないとイケないと、固執せずに、無造作にありのままに生きていけたら、自由なんでしょうね。
夏は涼しく、冬は暖かに、これが秘する花なんでしょうね。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。