''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

嫁手作りの桜餅を、象彦の皿に盛りつけました より。

春と言えば、桜とイメージします。
いえいえ、そんなことないんですけどね。

 

家隆卿に歌に、「 花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや 」のあるのを心得ています。
最後の「見せばや」のドヤ顔チックなのがいいです。

 

家のほん近くに、桜のある公園が続いています。
我が家の門扉を出て、ベビーカーを押して30秒、25~30メートルほどの距離もありません。
すぐそこです。
公園は、道路に沿って細長くて、1キロ以上続いていますね。

 

不動屋さんの広告にある徒歩1分の距離には、一定の規定があります。
1分80メートルだったとような記憶です。
徒歩5分なら、駅から400メートルと言うことになりますね。

 

桜は、いいですね。
伏見に居た時は、疏水の桜のトンネルが、私のお気に入りの場所です。
ここで、お弁当と発泡酒を数本持って、花の段に腰掛けて、お花見していました。
一緒になる前には、嫁も何度も花見を供にしています。
イメージ 1

桜餅を作ってくれました。
塗りのお皿は、平安象彦の竹皿だったと思います。
嫁のコレクションです。

 

見えにくいですが、金の塗りのところに、鶴が描かれています。
1羽だけの単鶴紋です。
鶴と言えば、結婚式の祝いの膳には、鶴が2羽の双鶴紋が、ならいです。
それに、もっと大きさ皿なら、群鶴紋が多いです。

 

鶴と言えば、落語の「つる」を思い出しますね。
つーと飛んで来て、ぽいと木に止まって、もう一羽、るーと飛んで来て、ぽいと木に止まったと言うのを、ドジな野郎は、つーと飛んで来て、ると止まったと言えば、後から来る首長鳥は、無口に来て、無口に木に止まるしかありませんよね。

 

ゆうゆうを乗せたベビーカーを、拙者が押せば、「冥府魔道」の拝一刀と一子大五郎となります。
腰には、胴太貫(架空の刀 本当の刀の銘は、同田貫)と決まっています。
必殺技、水鴎流奥義「波切りの太刀」も、架空の流儀と奥儀です。

 

どこから架空と言えば、御公儀介錯人も架空の役職ですね。
すべて架空の話と思えば、いいと思いますね。

 

まず、本当の刀の銘、同田貫の刀も、名刀の類ではありません。
美術品としての鑑賞には合いません。
刀工1人だけの名前では、ありません。

 

その中でも、名工の類にあるのは、同田貫上野介」 辺りかもしれません。
名前のイメージだけです。

 

私なら、師光(もろみつ)辺りか、雲次を初めとする雲類辺りが、好みです。
実用刀としても、観賞用としての、十二分に耐えます。
何とも言えず、太刀姿が美しいです。
まさか、何でも「正宗」じゃ、あまりにもしてあまりです。
数が決まっています。

 

ほとんど、将軍家か、大名家の所持家が、決まっています。
名刀すぎたら、興ざめしますね。
その点、新刀なら何でもありですよ。

 

井上新改でも、興里でも、清麿でも、あり得ますね。
たまには、作家さん、野田繁慶(のだはんけい)辺りも使ってよね。

 

名刀なら、花吹雪のひらひら落ちる桜の花びらも、一刀出来ますよ。
まだまだ腕の方も近づけません。
そう言えば、偉い法律の先生の俳句にこんなのがありましたね。

 

花吹雪 天守閣には 近づけず  八星

 

大阪城天守閣と桜の情景でしたね。
到底この俳句のように、偉業には近づけませんでした。

 

桜餅の味の方は、品よく出来ていましたね。
桜の塩漬けの葉も、食べます。
塩分と甘味の調和がいいですね。
もちろん、象彦の竹皿が何ともいえず、上品です。

 

桜餅だけに、葉っぱならね、切羽詰まった名刀の話が続きましたよ。

 

日々感謝して暮らさせてもらっています。
平穏無事過ごせますように、神仏に祈るばかりです。
ありがとさんです。