先日、郷里播州から父が作ったえんどう豆を使って、豆ごはんを作った記事を書きました。
豆ごはんと言えば、えんどう豆が多いが、『食べもの俳句館』(本間時彦 角川選書 219)では、そら豆を使った豆ごはんの話が出ていた。
父から送って貰った中には、そら豆もありました。
作ってみたいと思います。
そら豆は、ボイルして塩で頂くことが多いです。
日本酒の酒の肴です。
でも、4歳児ゆうゆうは、好きですね。
それに、最近の流行は、枝豆です。
我が家の枝豆は、ボイルしたての熱々の枝豆です。(この時期、台湾産です)
豆ですから、冷たいより温かい方が豆の香りがして美味いです。
若い頃、ホテル系の洋風居酒屋で、バイトしていた時のことを思い出します。
調理の社員さんが、枝豆の話をしていて、私が熱々の方が美味いと言えば、枝豆は冷たいものに決まっているので、熱々は美味くないと公言していました。
そんな中、ホテルの飲み会が、その店であって、ホテルの総料理長が、厨房に入って来て、自分で枝豆をかたい目に茹でて、「枝豆は熱々が美味い。味の分からな奴らや」と叱責していたのを思い出します。
冷たい枝豆がテーブルに運ばれていたのでしょう。
それ以来、あの偉そうな物言いの社員さんは、私に何にも言うことがなかったです。
ホテルの総料理長と言えば、取締役兼務でしたからね。
メニューはすべて、フランス語で書かれていまた。
フランス料理でも、枝豆使うんかいなぁ?
日本人は、豆が大好きです。
私も、豆が大好きです。
枝豆をボイルするときも、片時も離れません。
麺と同じように、タイミングが難しいです。
少し固めが私の好みです。
料理屋さんでは、アタリ鉢の塩を入れて、枝豆をこすりあてて、産毛を取ります。
枝豆の両端を切り落として、お湯が入りやすい様にして、下処理することが多いです。
八寸の料理に添えられていることが多いです。
枝豆の色止めしますので、冷水で冷やして、色を鮮やかにします。
ただ、味は二の次になりますからね。
味付けの枝豆にするのも、一つの手です。
とは言え、枝豆は、湯掻いた塩を振って、熱々を頂く美味さは格別です。
今年も、何度枝豆を頂くことでしょう。
旬は、8月終わりから、9月です。
丹波あたりに行くと、黒豆の枝豆が売られています。
これはこれで美味いです。
豆と言えば、祝いの膳の小豆です。
地域によっても、豆の種類は違います。
北海道では、食紅で色を付け、豆は甘納豆であったのは、驚きます。
関西では、小豆が多いと思います。
ささやかな祝いの赤飯を、家で作ってくれました。
朝から赤飯の朝食です。
親子3人で頂きました。
家で、熱々の赤飯が食べられるのは、ありがたいです。
明日は、冥王レイリーの生誕日ですね。
いろいろと共感できることが多いです。
あんな年の取り方がいいです。
憧れますね。
物腰柔らかく、敵にも言葉遣いも優しく、豪放磊落で、酒をこよなく愛す。
いいですね。
時に、やさしい物言いの後が、怖いです。
冥王と言われる意味が、作中で語られていません。
金銀銅の銀ですね。
金を敢えて狙わず、それでいて銀の存在が似合っているのは、何とも言えず生きるスタイルに共感できます。
何でも1番になれと言われることが多い中、頂点を目指せと言えば、順列はそれほど重きをなしません。
私は、それでいいと思います。
自分に対する励ましでもあります。
まさに、自分に対するエールでしょうね。
コロナ戦の最中、大変ですが、大阪モデルを鑑みると、近い将来出口が出て来そうな気がします。
その為にも、PCR検査を多く実施して、データ解析に仕える対応が望まれます。
今日は、看護の日です。
コロナと戦う医療従事者の皆さんに感謝の気持ちを述べたいです。
ありがとうさんです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。