最近、家でコーヒーをよく点てます。
コロナ禍での家の時間が多くなる以前からの我が家の週間です。
家でクッキー焼いてくれたら、コーヒー欲します。
少しビターなチョコレートケーキを焼いてくれたら、コーヒーが欲します。
コロナ禍で、ホールベーカリーを購入して以来、週末のランチにサンドに作ったりすると、コーヒーがよく合います。
パンやクッキーが焼きあがると、私はコーヒーを点てます。
コーヒーメーカーとかでなく、粉のコーヒーにお湯を入れて、手軽にコーヒーを楽しんでいます。
素人のコーヒーですから、大したことはないが、入れたてのコーヒーの香りはいいですね。
この香りに誘われて、嫁も6歳児のゆうゆうも欲します。
我が家に、コーヒーに砂糖を入れて飲むと言う週間はありません。
ですから、6歳児ゆうゆうのコーヒーも、ブラックです。
すこしだけ、嫁と6歳児の娘には、薄い目にしています。
とは言え、6歳児のゆうゆうは、苦いとも言いませんし、「おいしい」と言います。
コーヒーがこういうモノだと小さい時から飲ませていますので、甘いコーヒー飲料も飲ませたことありません。
コーヒー牛乳も飲んだことありません。
クッキーやケーキの甘さのハーモニーがいいですね。
6歳児ゆうゆうは、最近の流行りは、お手伝いしたい病です。
何かお手伝いしたいと言い出します。
そんな中、私のコーヒのミルを見つけては、やりたいと言います。
嫁にお願いして、コーヒー豆を買って貰いました。
最近のスーパーでも、コーヒー豆を扱っているお店は少なくなりましたし、あっても粉のコーヒーが多くて、コーヒー豆の種類は限定的です。
もっと大きなスーパーに行けば、あるんでしょうが、家の近くならそうなります。
買って来たのは、珈琲まめ工房株式会社のモノです。
ブラジルとコロンビアのアラビカ豆100%使用しているものです。
手頃な価格のモノで、高級品ではありません。
メインのコーヒーは、粉のコーヒーを使っています。
ただ、手動のミルで粉にしたいと言うので、今回購入しただけです。
夏のテントなら、朝のコーヒーを入れるのに、ミルで粉にして飲むのもありです。
家では、6歳児ゆうゆうが、お手伝いと称して、ミルを回しています。
香りはいいですね。
ゆうゆうは、時間を楽しむと言うより、作業になっています。
日本的なら、喫茶と言えば、茶の湯でしょうね。
茶聖の利休の時代には、茶の道具の中に、茶臼もあったんですよね。
引きたての抹茶を使っていたのもしれません。
それが、知らない間に、茶道具から消えたと言うのも事実です。
茶の湯は、時に政治に利用されました。
茶室の軸に「放下着」と言うのを見かけます。
「放下着(ほうげじゃく)」とは、禅の言葉、禅語ですね。
中国唐の時代の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の言葉に由来するようです。
「放下着(ほうげじゃく)」とは、すこし勘違いされる方も居られるみたいで、こんな笑い話があると聞きます。
夏の茶室に、この軸があったので、この軸を見てある客は「これは涼しいですなぁ」と言ったと言います。
客は、この茶軸を見て「下着を放つ」と読んで、下着まで脱いでような清々しい涼しさと感じたようです。
読む位置が少し違うようです。
「放下せよ、みんなきれいサッパリすててしまえ」と言う意味なんですね。
人間と言うのは、いろいろなものを背負ってしまって、この自爆から抜け出せないものです。
一層の事、その肩の荷物をなくせばいいと言うわけですね。
何かに固執するから、悩みが生まれるのでしょう。
「心は明鏡台の如し」と喩えても、煩悩によってその鏡も台も塵が積もっても取り払うように勤めると言われても、本来その明鏡台すら無いのだから、塵も積もらないし、汚れもしない。
煩悩即菩提って事なんでしょうね。
「本来無一物」と言う有名に禅語が、これを意味するようですね。
私のよう凡人は、本来ない鏡も台もあると思い込んで、塵も汚れもないのに、あるように錯覚して、その掃除に悩み続けているんですよ。
この世は、仮の空ですからね。
すべてが仮の世界なんですよ。
固執するから悩むと言うことなんでしょう。
でも、凡人だからこそ、無いモノとあると信じて、日々の暮らしを送ってるわけです。
バーチャルな世界の中に、ある意味煩悩を求めて、暮らしているわけですね。
言わんとすることはよくわかります。
でも、YouTubeの世界なら、キャンピングカー買って、あたらこちらに一人で出かけて、人気をとって暮らしてもいけます。
山を買って、小屋を建てて、仙人のような暮らしも生きて行けます。
私のような凡夫には、それが出来ませんからね。
でも、あーでもないこーでもないと、自分の作った自爆の罠から脱出しようとする事に、いろんなものを捨てて、気楽になれるくらいなら出来そうです。
日々の暮らしの中にこそ、求める幸せはあると確信しています。
嫁と娘の3人暮らしは、何より大事です。
ささやかな暮らしの中に、日々の暮らしの中に、「よかった」を探します。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。