''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

私の日記(ブログ)の書き方 日記(ブログ)を長く続けるためのテク(古今伝授みたいな) 

今週のお題「日記の書き方」

私が、ブログのテーマで何か書くの珍しい事です。 

日記を書くと言うのは、今の私に言い換えれば、ブログですね。 

 

ブログとは、ウェログに由来する言葉だ聞きました。 

ですから、ブとログで、ブログです。 

ログは、記録と言う意味ですから、私的には、日々の爪跡と言うか、何かを書き残したい真理から来ています。 

 

難しいことを書くのは、なかなか続きません。 

でも、目標にしているのは、怖れ多いことながら、家定卿の『明月記』ですね。 

『明月記』は、鎌倉時代の公家である藤原定家有名日記ですよね 

治承4年(1180年)から嘉禎元年(1235年)までの56年間にわたる克明な記録である聞きます 

 

56年は到底無理です。 

40過ぎから始めましたので私の場合なら100歳近くなります。 

到底無理な大記録です。 

記事の数なら大目標に迎える可能性はあります。 

 

それでも、ヤフーブログで20082月から始めましたので、途中ではてなさんに移転してきたの期間も含めると、トータルでかれこれまる14年、15年目ももう少しで達成できます。 

基本毎日書くようにしています。 

つまらない事でも構いません。 

あくまでも、自分の書きたいことを書くことだけです。 

 

よく聞かれるのはそんなに毎日書くことがあるの?と言う事です。 

書くように自分を仕向けます。 

まずは、写真1枚があれば、何とか記事になります。 

 

何の変哲もない百均ダイソーの電源のコンセントアダプターです。 

もちろん、税抜き100円です。 

まずは、写真を決める所から始めます。 

 

日々の生活の中で、写真をスマほや携帯電話で撮りためています。 

ボツ写真も多いです。 

日常ですから、何も問題はありません。 

 

ブログのテーマは大きなテーマは痛風の患者の目線から見た仏教徒の世界です。 

完治しない痛風と言う病気を通して、人として、神仏のお蔭さまで、暮させている感謝にあります。 

一病息災と言いますが、この中から見える世界を記事に書き記しています。 

仏の世界も、日々の暮らしの中にあるものであり、特別な抜け道は、存在していないと感じて居ます。 

 

家の前の道が、長安に通じている信じて、進むだけです。 

疲れたら、休めばいいし、気持ちが戻れば、歩めばいいだけです。 

いずれ、仏の終着の長安に到達するモノと信じています。 

方向は関係ありません。 

禅語に、向南見北斗 南に向いて北斗を見ると言うのがありますが、まさに急がば回れあっていいかもしれません 

 

禅語 向南見北斗 南に向いて北斗を見る

 

仏縁があれば回りまわっても目的地に迎えます。 

困った事があれば、観音様の名を唱えれば救って貰えることを体得しています。 

それだけです。 

 

1枚の写真から何か意図する方向性を見つけることも見つけられないこともあります。 

でも、この写真を選んだのは、何故かと言えば、それを書き記したらいいだけです。 

使い勝手がいいのか、どんなところが便利なのか、不便のか、素直に書けばいいと思います。 

日記もブログも同じです。 

最後に困れば、今日食べたモノを書き記せば、それでも立派な日記やブログです。 

 

でも、テーマは有った方が書きやすいですね。 

私の場合は、よかった探しです。 

どんな生活にあろうと、どんな環境にあろうと、どんな精神状態にあろうと、日々の暮らしの中で、少し目線を下げれば、「よかった」が見つけられます。 

 

路傍の花を見て、一瞬心に幸せを感じます。 

真夜中の月を見て、一瞬心に幸せを感じます。 

 

どんな時でも、人は腹が減ります。 

どんな時でも、人は喉が乾きます。 

 

人も自然の中に住しています。 

仏教的な視野から見るなら、この自然や宇宙は、仏の体内であり、この体内から、外に出ることは出来ません。 

自然の摂理は、仏の真理であり、普遍的なモノだと考えています。 

仏の世界なら、中道であり、難しい言葉なら、「空(くう)」をも意味するかもしれませんね。 

未だ、「空」に関しては、未熟です。 

彼岸に到達する術も知りません。 

 

それでも、前に進むのを辞めずに、歩むだけです。 

最短の道もコースもありません。 

前に前にポッポですよ。 

 

何からの自縛束縛から脱出する術は、固執しないことでしょう。 

何かに執着しないことです。 

 

日々の暮らしの中で、特別な幸せは、ほとんどありません。 

それなら、日々の暮らしの中で見つけられる幸せがあるなら、それを見つけることは出来るはずです。 

誰にでも出来ます。 

私にも、7歳児の娘ゆうゆうにもです。 

 

大人には大人の、子供は子供の「よかった」があるはずです。 

それを体得する暮らしは、何か幸せです。 

困ったら、観音様の名を一心に唱えれば、難から救って下さいます。 

これは、7歳児の娘ゆうゆうも、体得しています。 

雨が降れば、母の帰りの時間に雨がきつく降らないようにと、観音様の名を唱えています。 

嫁が帰宅時間になると、独りでそう念じている姿があります。 

 

日々の暮らしの中で、私の家族は観音様の存在を身近に感じています。 

ささやかな家族での日々の暮らしは、ありがたいと感じています。 

 

私が体調が悪くて、約束の外出出来ない時でも、「父、そんなこともあるよ」って、お前だけだよって事も多いです。 

不思議な日々の暮らしをさせて貰っています。 

ありがたいと感じるのが、何より日記やブログを続ける上での古今伝授みたいなテクでしょう。 

 

親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               

ありがたいことです。             

             

ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               

ありがたいことです。               

               

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               

神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               

ありがたいと感謝です。               

               

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