''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家のスィーツ物語  千鳥屋宗家の本千鳥饅頭 食べました

先日、嫁の親戚でお世話になった小父さんの命日のお供えものを買いに、千鳥屋宗家に行きました。
すでに、スタンプカードも、5枚目ほどのゴールド会員です。
とりあえず、お使い物は、千鳥屋宗家に決めています。
弔辞慶事共に、先様に喜んで貰えると思っています。


同時に、8歳児ゆうゆうが、ほくそ笑みます。
なぜなら、嫁がお使い物の商品と同時に、家用の饅頭を数個買い求めます。


「やった !!」と娘の声が聞こえます。
「ゆうゆう、本千鳥好き」って、商品名を店先で言うなよ。
桜だと思われます。


コロナ禍前なら、包装の用意をしている間に、店内で菓子とお茶の接待を受けるのですが、コロナ以降なくなりました。

やはり、朱色の菓子器の盆に盛ると、様になります。
8歳児ゆうゆうも、悦に入ったように、美味しそうに食べます。
そりゃ、美味いでしょう。
本千鳥まずいとって言う方も居られません。
もちろん、甘いものがお嫌いな方も居られますが、一般的に許容される範囲です。


落語の「饅頭こわい」なら、大の大人の怖いモノが「饅頭」だと聞いて、逆に大の大人が揶揄われるのが、面白いです。
最後に、「熱いお茶」が怖いなれば、そんな奴も居らんやろうと、落語の世界です。


でも、菓子を食べて、お茶を吞むのが、「道」だとなると、やはり、趣も変わります。
所作といい、お点前といい、道を極めた数寄者の道には、キリがないように思います。


「名人に香車を引いて勝つ」、「新手一生」など、升田幸三元名人の名言が頭を過ります。
「たどり来て未だ山麓」、趣が深いです。
一つの事に奥義まで到達するほどの名人でこそ、この言葉は重いですね。


禅の世界でも、仏の悟りの境地は、1つでないと聞きます。
幾段階かの境地があって、また、最初の域に巡って来るとも聞いたような気がします。

大悟するとは、そうしたものかもしれません。
ただ、茶の湯も禅も、24時間365日、そのことを頭に常置させて居られるものなのでしょう。
暮らしも、生活も道の中にあるんですね。


凡夫も、日々いろんなことを思い、いろんなことを考えます。
微弱な事で、恥ずかしいですが、道を前に進むしかないですね。
家の前の路地も、きっと長安に通じていると、信じて歩みを進めるしかないです。
時に、酒に酔って、千鳥足になることもあります。
疲れたら、休めばいいし、元気になったら、また前に進めばいいだけです。
そう思えば、日々の暮らしの中でのやるべきことを、やるだけなんですね。
ありがたいことです。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               
ありがたいことです。             
             
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               
ありがたいことです。               
               
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               
ありがたいと感謝です。               
               
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