''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家の食卓ものがたり 今年最初の具沢山の冷やし中華の一皿

週末、急に気温が上がりました。
午後3時前には、29℃近くなっています。
まだ、5月です。


そうなると、食事の用意も、少し変化させます。
週末ですが、そりゃ、冷やし中華が食べたくなります。
って言うか、いつものように冷蔵庫と相談です。


チャーシューやハムが無かったので、豚肉スライスで代用です。
野菜盛の用意が無かったので、オニスラと人参シュリシュリで代用です。
後は、定番のトマトと胡瓜、そして、何ちゃっての錦糸玉子です。
雰囲気だけですが、玉子の細切り風です。
白ごまフリフリして、マヨネーズ添えて、こんな感じです。

後掛けなんですが、味はゴマダレです。
時に、それもありです。
8歳児ゆうゆうは、麺類大好きです。
冷やし中華も大好きです。
玉子が大好き、胡瓜もトマトも大好きです。


久しぶりに、冷やし中華を作って食べると、なかなか美味いです。
若い頃、ラーメン屋のバイトをしていましたので、夏になると「冷やし中華 はじめました」の旗を立てるんですよ。
手間が掛るので、忙しいランチ時に注文入ったら、めちゃくちゃ大変です。
でも、お客さんの98%は、熱々のラーメンです。
夜になって、ビールを飲んだ〆に、冷やし中華食べる方が居る位で、日に3食も出ません。


暑くても、熱々のラーメンライスの一択です。
汗流しながら、熱々のラーメンを頂くのは、美味くて、幸せですよ。
旗を立てると言いしたが、世の中には、「冷やしシャンプはじめました」とする不思議な旗もあるそうです
そういう文化圏なら、ありそうです。


旗(幡)を立てると言えば、禅の世界では、六祖慧能禅師の逸話が有名です。
六祖慧能禅師は、後に南宗禅の土台を作った偉人です。
でも、正確に言えば、僧侶ではありません。
小柄な寺男です。

 

それでも、五祖弘忍(ぐにん)禅師の法の奥義を受け、継承者としての印可を受け継ぎ、その見印に、達磨様の伝法衣を引き継いだ法嗣、真の禅師ですね。
その時、五祖弘忍の問題に対して、出した答えが有名な「本来無一物」ですね。
敵対する有能な弟子が、後の北宗禅の神秀ですよ。
後に、禅語の「入水見長人」の謂れにもなる則天武后のお風呂の女官たちの接待に馬脚を見てせしまったことで有名です。
話を聞くだけでも、羨ましいですよ。


如何わしい事は何もありません。
山中の修行で、汚れた体を女官たちに背中を流しても貰うだけです。
もう一人の禅僧も、「そんなのええぁん」と恥ずかしかることなく、背中を流して貰ったのが、嵩山の慧安と言う僧です。
綺麗な女官たちの沐浴のサービスなら、汚れた体もさっぱりしたと思いますよ。


どうやら、人と言うのは、水に入れたら、その人間の真価が分かると言う喩えです。
その程度の禅僧に、六祖慧能禅師が勝てるはずもないですからね。
とは言え、六祖慧能禅師は、当時は字の読み書きも出来ませんし、そもそも正式な僧ではなかったので、眼中にすらなかったと思います。
物事は真眼でみないと分からないことが多いです。


話は、旗(幡)に戻ります。
そんなあるとき広東省の法性寺で、印宗和尚の「涅槃経」の講座があることを聞きつけて法性寺を訪ねた時のことです。
説法講座が開かれる時には、法堂の前には幡が立てられます。(今日、説法講座がありますと言う印です)


時に、折からの風で、旗(幡)がパタパタと音をさせて、はためいていていました。
法座開始前に、人々の中の二人の僧が議論を始めました。
一人の僧は、「幡が動く」といい、もう一人の僧は、「風が動く」と言って言い争いをしていました。
そんな中、六祖慧能禅師は、「風が動くのでもない、幡が動くのでもなく、あなた方の心が動いただけだ」と言いました。


やはり、格の違いは大きいですね。
確かれを聞いた印宗和尚が、六祖慧能だと気づいたとも聞きます。
「他に、そんな奴居らんやろう」


旗を立てたら、「冷やし中華 始めました」と分かっていたも、作り手になれば、心は動きませんよ。
どうか、忙しい時間帯でなく、暇な時間帯に注文して貰いたいです。
冷やし中華を作るのは、全く苦ではありません。
作ってやっているわけでもなく、作らさせているわけでもなく、自分の仕事ですから、淡々と作って、お客様に食べて貰うだけです。(模範的解答ですね)


もちろん、お客さんなら、嫁なり、娘なりが、美味しいよって食べてくれると嬉しいだけです。
その言葉に、私の心は動きます。
水に入れたら、どうなるのか、分かりませんが、気持ちよく沐浴できる心の修業は出来ていると思います。(いい出汁が出るから知れません(笑))


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               
ありがたいことです。             
             
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               
ありがたいことです。               
               
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               
ありがたいと感謝です。               
               
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