''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

休日ランチ 海老のかき揚げ、ワカメ、玉子とじ、のっけ盛りの特製讃岐うどんの一杯

5月少し汗ばんだ土曜日、家でランチを食べました。
午後3時過ぎから、8歳児ゆうゆうのプール教室がありますので、少し軽めのランチにすることが多いです。
この日は、もちろん、定番の麺類でした。


半生の讃岐うどんがあったので、これをランチにしました。
冷蔵庫と相談して、のっけ盛りです。
午前中に、家族で買い物して来て、ゆうゆうが、お惣菜の所で、海老のかき揚げが食べたいと言うので、これを使います。
諸物価高騰の折、大きな海老のかき揚げは、1/3にカットされて、盛りました。

後は、ワカメと玉子とじで、彩を付けて、一椀を盛り上げます。
ネギたっぷりに盛り付けて、自分の分だけ、一味唐辛子をフリフリしました。
イチラーですからね。
見た目とは違って、辛くなく、味のアクセント的なモノです。


でも、一味も七味も、有ると無しでは、大違いです。
昔からやっているあの豚まんのテレビCMでも、ある時ない時としてやられています。
禅語の「逢茶々遇飯々」(茶に逢えば茶 飯に遇えば飯) を思い出します。
まさに、あれば飲んだり、食べればいいし、なければないで呑んだり食ったりしないだけです。
自由無礙に生きる禅者、道人の境涯を表現した一句と記されています。
奥が深いです。


島田洋七さんの小説『佐賀のがばいばあちゃん』でも、腹が減ったと言えば、錯覚だ言われたら、何も食べることは出来ません。
それこそ、カップ麺でもあれば、作って食べますが、当時では、そういう生活や時代でもなかったはずです。
この世の中すべて「空」だと思えば、なるほどと感じます。
仏の世界でも、「諸法は空相なり」と言えば、空は実体がないとも聞きます。


トンチ問答用ですが、どこかに、すべてが空ですよ。
釈迦十大弟子の一人に、「須菩提(しゅぼだい)」が居られますが、「無諍(むそう)第一」とか、「解空(げくう)第一」と言われるようになります。
何でも、『西遊記』の孫悟空の師匠も「須菩提」だと聞きます。
ですから、「空を悟る」として、悟空なんですね。
そう思うと、深い話です。


私は、これまたうどんを食うだけです。(笑)
椀の中に、うどんがある、うどんがない、つまり、空とは無と言う意味ではないと考えています。
空は、縁起だと言われます。
空の方が、縁起より広い意味があるので、縁起が空だとは、言いきれないでしょう。
仏教では、すべての結果には必ず因と縁があると言います。
因果が、そこにはありますからね。


無から有は、生じません。
何か原因があったから、そこにあるんでしょう。
すべてが、仮の姿、仮の世界だと思えば、空と言うのは、理解の一口が見えるのかもしれません。
凡夫の私には、この世が仮の世界だと言われても、腹は減ります。
そう意味では、有無の世界は、そう思う事すら、ないんでしょうね。


魂と言う器の中に、前世や過去世の記憶が、あったりなかったりするのかもしれません。
空は、無ではないと思う所以です。
讃岐うどんから、てんこ盛りの話になりました。
少し胸焼けするような話にお付き合い下さいまして、ありがとうございます。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               
ありがたいことです。             
             
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ありがたいことです。               
               
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